先輩からなんとかジャージを借りてきた。幸いなことに先輩の彼氏さんは大柄で180センチ前後だった。これなら竹谷でも十分に着ることができるに違いない。ただそのためパンツのサイズが恐らく久々知にしてはややでかめになることは間違いないことに少し罪悪感を感じる。こちらも想像通り新品をいただけた。後で返します、と言ったら、いーっていーっておめでたいねえ、しかもこーんな嵐の夜にかい、なんてにたにたからかわれた。うん、なんかもうこの羞恥心でお金を全部払ったことにしてもらいたくなった。それからちょちょいと差し入れ程度に野菜を先輩に届け、自宅に戻ると竹谷が入浴しているようで久々知は一人ぼーっとテレビを見ていた。何を見ているのかと思えば、お笑い番組。あまりのミスマッチに少し引いた。ごめん。ぎゃははは、という笑い声が静かな室内に響き渡る。滑稽な映像だった。しばらくして久々知は真顔で口を開いた。 「これは可笑しいのか」 そういうことを真顔で聞いてくる貴方が可笑しいとこのとき突っ込まなかった自分を全身全霊で褒めてやりたい。久々知は天然か、天然設定はまだ残っていたのだな。うわべだけは冷静に内心はぎゃあぎゃあ爆笑であった。 「私は別のコンビのが好きですけど……現代と昔では笑いのツボが違うのかもしれません。久々知くんは面白くありませんか?」 「さあ。俺にはよくわからない」 けれど、そのとき不意に見せた久々知の顔がやけに穏やかだったことが私の心にぽつんと残った。そして竹谷が出てくるまで久々知は真顔でじーっとお笑い番組を凝視していて、なんだか不気味だった。私はお笑いがあまり好きではないというか今日はとてもではないがそんな気分ではなかったので、雑誌を探すふりをしてにんたま関係の同人誌を奥深くへと隠した。これを読まれては後に多大な影響を及ぼすだろう。久々知と竹谷があっはんうっふんしている描写が……あるんだなこれが。ごめんなさい、と心の底から謝りながらファッション雑誌を取りだした。作り物っぽい笑い声をBGMにして刻々と時は過ぎていった。 「そういえば」 「はい?」 「俺のことは久々知で構わない。しばらく厄介になるわけことだし」 「え……ああ、はい。じゃあ、久々知も私のこと呼び捨てでいいです。でもでもご自由にどうぞ」 「わかった。あと、その丁寧すぎる敬語もできれば止めてくれ。年上だろう?」 ぴきん、と場が凍りついた。 「え、ええええ、と。つかぬことをお聞きしますが、私のことを何歳だと思っていらっしゃる?」 「24歳くらい?」 「……よっし、表出ろ。今すぐ出ろ」 どすの利いた声でぴっと玄関を指さす。外が嵐だとか関係ない。むしろ嵐とか好都合だ。騒音がかき消されるだろう。私の全身から発せられる、彼らに比べれば赤子のような殺気に、久々知は首を傾げた。何か、悪いことを言ったか、と言わんばかりの表情だ。タイミングよく後ろから出てきた竹谷がなんのこっちゃと首をかしげている。乙女に年齢を聞くのは……まあ、まだ私は若いからいいとして、その年を5つも上に見られたら誰だって怒りが爆発するにきまっとるわ。私はぶるぶる震える右手を抑えて、高らかに宣言した。 「私はまだじゅう、きゅう、さ、い、だ!」 「……嘘だ」 「同い年?!」 口を揃えてそう言った彼らの口を縫ってやろうと思った。真剣に。日本人は割かし童顔といわれているがそれでも先人の日本人と比べれば現代人は大人びて見えると―世界を基準にするとまだまだそれでも若く見られるようだが―最近では言われているのだ。だから、1、2歳くらいなら目をつぶってあげようと考えていた。だがしかし、だかしかし。24歳?っは、ふじゃけてんじゃねーよ。同人誌で勝手に乳くり合わせていたことを今後一切謝るものか。それだけの精神的ダメージを彼らは私に与えた。んで、猫かぶりもやめた。同い年なら尚更だ。高らかに呼び捨てため口してやろうじゃねえのあーん? 「久々知、竹谷、なんなら今からでも出ていく?」 「すいませんでした」 「……でした」 風呂上がりでさっぱりなんのこっちゃ理解していなかった竹谷だが、久々知同様小さく頭を下げていた。 幾らか沸々としていた怒りが収まったのちに、私はびしょびしょの頭をした竹谷を呼びつける。バスタオルで先ほどからがしがし拭いているものの、私以上に長い髪の毛をしたそれも量もとてつもなく多い彼のそれが乾くのはきっと明日の朝になるまで待たねばならないだろう。時は真冬とはいかないが冬の始め。風邪を引くのが目に見えている。これまた彼らにとっては新たなからくりであろうドライヤーを右手にとってくいくいと彼を呼んだ。ちなみに、竹谷のことは以前から私が呼んでいたようにハチ、と呼ぶことにした。そちらの方が慣れている分呼びやすい。 「ハチ、こっち来て。髪の毛乾かすから」 「……なんだそりゃ」 ぶおおおん、とスイッチを試しに押してみるとびくと大きく肩を震わせた。暖かい空気が丸い円をした先から出ているのを不思議に見ている。これで髪の毛を早く乾かすことができる、ということを説明するとぱちくりと目を見開いたあと、なんでもあるんだな、と感心したようにつぶやいていた。そして、後ろ向け、という。が、頑として彼は後ろを振り向かなかった。 「忍者がそうやすやすと背後を取らせるか」 「じゃあ、横向いて。どっちにしても床が濡れるし、寒そうだし、乾かさないといけないでしょ」 ごわごわの髪の毛に手を突っ込んで丁寧に乾かしていく。昔はきっと乾く前に寝ていたのであろう、枝毛がいたるところにぴょんぴょんと飛んでいる。キューティクルがはがれまくっているのだ。動物の毛のようだ、とそれ見て思う。触ることによって彼の髪の毛がカツラではないことが十分に分かった。コスプレであるという線が確実に薄くなっていく。カツラならばこんなリアルな枝毛ができるはずがない。わしゃわしゃと髪の毛をさすると気持ち良さそうに目を細める彼にふっと笑みがこぼれた。 「ハチの髪の毛すっごい汚いね」 「あぁ?むっかし誰かに言われたような台詞だな」 「あ、そーなの」 斎藤だろうな、と安易にその光景が想像できてくすりと苦笑いした。続いて上がってきた久々知の髪の毛をこれまたわしゃわしゃと同じように乾かす。彼にはもう敢えて後ろを向けとは言わず、そのまま横から乾かすことにした。身長差があるのでやりにくかったが、彼も気持ちよさそうに目を細めていた。しかしながらその手触りのよさ。同じ忍だというのにここまで髪の質が違うのか、とある意味感嘆を零しそうになってしまった。下手したら私よりもきれいだ。私も風呂に入り終えたところで日付は変わっていた。そして、また問題があることに気がつく。お客さん用の布団が一組しかないのだ。私が普段使っているベットのものと、もう一組。確実に誰かが同じ布団で寝なければならない。そして体格的に男二人を並べるのは少し酷だ。となれば。どちらかが私と共に寝なければならないのだ。けれども、彼らは所謂忍。平然とした答えを返した。 「俺達は極寒の吹雪の中でも一夜を開けることがいくらでもある。こんな風もなく暖かい部屋で雑魚寝くらいむしろ幸運な方だ」 「ということで、は自分のものを。怪我がしてるからはっちゃんが布団。俺が雑魚寝。異論は認めない」 「……平気なの?」 「それよりも、同じ部屋で男二人と寝なくちゃいけない自分を心配しろよ」 竹谷が呆れたようにそう言った。けれど、あいにく彼らが私に手を出すとは到底思えなかった。もしここであの暴君―つまりは七松とかがやってきたら自分の身を必死で守ろうとするだろう。手当たりしだいに手を出しそうだ。襲われかねない。けれど、5年生はあくまで別格。また生真面目そうな久々知と、あっけらかんとした上にいまいち私を信用しきってない竹谷が襲うだろうか。否、襲わないと断言できる。 「まあ、明日は朝から買い物にいくつもりだし……久々知、今日は毛布で我慢して」 「ああ」 「よっし、じゃあ、電気消します。おやすみなさい」 こうして、私の長い長い一日は終わった。お疲れ様でした、自分。 |