キーンコーンカーンコーン。11時35分、学期末の大掃除ですっかり潰れてしまった3時間目。あと数分もすれば担任の先生がやってきてSHRを始めるだろう。そして、面倒くさそうにザラ紙のプリントを配って、「ちょっとでいいから目を通しておけよー。」なんていうんだ。皆は毎年同じような事が書かれてあるそれを視界の隅にだけいれて、2つに折りたたみ既に帰り支度がバッチリされている鞄に放り込むんだ。決して読んだりしない。否、読まなくとも解かる。大抵、一緒だから。でも、もうこのプリントすら貰うことが、無いのだろうけど。 「じゃあ、SHR終わり。精々、最後の夏休みを満喫しろや。」 「……うおっしゃあああ!!」 途端に湧き上がる喚声のおかげで、一学期が終了したことを知る。やけに大きな声で絶叫している真田君をチラリと横目で捕らえてから、私も立ち上がろうとした。ようやく、帰れる。満喫しろ、と言われても今年は高校最後の夏休み。つまるところ、受験生の夏休み。それがどれだけ残酷なことを示しているか。どうせ明日からまた補修で学校にくることになる。あまり変わりはしないのだけれど、それを踏まえてでも大喜びする彼はどこか可愛らしい。あと1年くらいここで過ごせるんじゃない?、と思わせる。(実際にそうなってしまったらそれはそれで可哀想なのだけれど。) 「あ、。まだ帰るな帰るな。」 「……え?」 「お前、日直だろう。ホラ、日誌書いて窓閉めして、鍵を俺んとこ持って来い。社会科準備室に居るからよ。」 「マジですか。」 「おお、大マジ。」 よくよく目を凝らしてみれば、確かに日付の下側に私の名前がしっかりと、しかも平仮名で書かれている。面倒だ、そう思いながらも私は日誌を開いた。こうなればさっさと書いてさっさと帰るしかない。きゃいきゃいと明日からの灰色ながらもほんのり水色のまじった夏休みを計画しながら校門を通り過ぎる彼・彼女達が羨ましくてならない。……あー、早く帰りたい。 カリカリ、とペンを動かす音が教室に響き渡る。いつの間にか騒がしかった教室はシーン、としていてほとんどの生徒は帰ったみたいだった。ちっくしょう、一番最後かよ。あれだったら最後の奴に鍵くらい頼んで帰ろうかと思ってたのによー。適当なことをがしがし書きながら心の中で愚痴る。そもそも、最終日で午前授業しか無いというのに日誌なんか書けるか、っていうんだ。これから迎える私の夏休みの事情でも書けって?どうせ毎日補修しか入ってない私の夏休みの楽しみを書けって?無心に日誌を見つめていたから、隣から振ってくる視線に気が付かなかった。カタン、と机が動く音がする。今確かに私しかいないはずなのに、…疑問に思って顔を上げると音の主はすぐ近くにいた。 「Oh,……what happened?」(何が起こったんだ?) 寝ぼけ眼できょろきょろと辺りを見渡す伊達君。頬にはくっきりと机に伏せていた後が見える。アレか。SHRから寝ていたって奴で、皆が帰ったのに気が付かなかったのか。隣の席なのに、全く気が付かなかった私もどうかとは思うが。あれだけ真田君が騒いでいたのに、起きないなんてある意味凄いと思う。 クラスメイトがいない、ほぼ無人となった教室。不思議そうに首を傾げたあと、不意にこちらを向いた。 「おはよう、伊達君。もうSHR終わって皆帰っちゃったよ?」 「Good morning.……and、thanks.アンタは、帰らないのか?」 「見ての通り、日直ですので。これを書き終わらない限り帰れないのです。」 今だ半分は残っている用紙を向けて、苦笑いした。「フーン。」と無関心な返事が返ってくる。伊達君とは、期末テストが終わってからの席替えで隣になった。高3のこの時期に初めて同じクラスになったので、今まで関わったことも無く言葉を交わした数は少ない。ついでに、会話を交わしたのは7月が入ってから。まだまだよくわからない人物だ。その整っているルックスと英語交じりの口調が特徴的なので、校内ではとても有名だが。 「ついてねぇな。最後のこの日に日直なんて。」 「まあ、ね。ていうか何書いていいのかわからないんだよ!今日だって、終業式と掃除しかなかったでしょ?それで日誌なんか書けるかっていうの。」 「適当でいいんじゃねぇ。宿題が多いっていう不満とかよ。」 「……by伊達君、て書いておくからね。」 軽く失笑してから、けだるそうに欠伸をする伊達君はのろのろと帰り支度を始めた。私は思いつめながらもうーんうーんと夏休みの予定を搾り出す。もう、これは日誌じゃない。私の完璧なる予定表だ。先生だって私の夏休みに興味はないだろうが致し方ない。やっと残り三行となったところで、カタン、と机が揺れた。伊達君が立ち上がる。そして、唐突に日誌を覗き込んだ。 「Uh?何だコレは。毎日補修、9時からドラマ、10時就寝…って。夏休みってのに随分と華がねぇな。」 「……だって、受験生なんだからこんな予定しか浮かばないよ。」 「For example……ここに彼氏との電話、とかないのかよ?」 「はっ、私に彼氏がいると見えて?」 自傷気味にそう呟けば、「Sorry.」と驚いたような顔で返答された。まるで知っていたかのように。つうか、知ってたんだと思う。なんだかシタリ顔だ。言っておくが(別に言わなくてもいいが)私は生まれてこの方彼氏なんぞできたことがない。彼氏いない暦は?と聞かれれば、イコール年齢と簡素に答えることが出来、いちいち数えなくてすむ。微妙にわかりやすくてお手軽だ。……ちょっぴり胸が悲しいけれど。 「伊達君はいいよね。どうせ、夏休みも彼女とデートとかいっぱいあるんでしょ?」 「Hmm, is it jealousy?」(フーン、そりゃ嫉妬か?) 「ジェラシー……って、そりゃあ、彼氏彼女がいるのは羨ましいと思うよ。夏休みだって、少しは楽しそうだもん。」 「そりゃ良かったなあ。I seem to be able to enjoy it a little, too.」(俺も少しは楽しめそうだぜ。) そういって薄く笑った伊達君はごそごそとポケットを探った。カチャリ、と取り出されたのは真っ赤なボディのケータイ。どうしたのだろう、と思って軽く見上げると、赤外線の付いている部分を差し出された。 「番号、教えてくれねぇか?」 港から近い、この高等学校には時に潮風がやってくる。今日も、独特な塩のにおいが教室を包み、サラリと私の髪の毛をなでた。もしかしたら、夏休みの予定に「彼氏との電話」が入るかもしれない。そう期待してしまった、一学期最終日。 潮騒のにおい *071008 |