人の体温を感じながら眠ることが私は好きだ。朝方のひんやりとした空気の中布団に包まれる暖かさと、スクアーロという人の無防備な肌から伝わる熱はとても甘美で、いつまでもこうしていたいと思ってしまう。すっかり目が覚めてしまった私は、じろじろと隣に眠る恋人を見つめていた。熟睡しているスクアーロは昨夜の名残を感じさせないくらい綺麗だった。髪質のせいだろうか、太陽の光を浴びるとキラキラと輝く。日本人である私には得られないその光沢が羨ましかった。ん、と鼻にかかった掠れた音が彼の口から零れる。それにつられるように体をすり寄せれば逞しい腕が迎え入れてくれた。筋肉質な胸板がいっぱいに広がる。恥ずかしさを感じながらもぎゅっと目をつむってその幸せを甘受していた。けれど満たされた時間はそう長くは続かなかった。微かに彼の口からこぼれた言葉によって私の機嫌は急降下したのだ。 ばちん、と高い音が静かな寝室に響いた。 「最低」 眠っているスクアーロの左頬に真っ赤な紅葉ができた。ついでに横腹に蹴りもくらわせてやったので私からは見えないが紫色の痣もできているはずだ。暗殺部隊の隊長といえども、同じくその機関に属している私にとってはそれくらい造作もないことだった。寝起きで何が何だかわかっていない唖然とした表情のスクアーロをきっと睨む。それまでの甘いムードは一変し、私はとっとと自室へ戻った。あの時の、ほけら、とした顔は後から考えれば相当見ものだった。マフィアという職業についているから仕方ないと言えばそれまでなのだが、彼は眉間に皺を寄せて苦悩していることが多い。また西洋人なのでとてもきりっとしてる顔立ちである。そんな彼だからこそ余計にしてやった感は強かった。ふん、ざまあみろ。 この捨て台詞を吐いたのが一週間前だ。彼は私の突飛な行動を最初は腹立たしく思っていたようだったが、頑として話をする機会を避けていたら段々と大人しくなっていった。今日も待ち伏せていたのか、それとも偶然だったのか、ボスの部屋の前で鉢合わせてしまった。一瞬視線を彼の方に向けたが目が合う前に顔をすぐさま逸らした。ちらり、と彼が私を目で追っていることには気がついていたが合わせようともしなかった。いつだって私が折れるなんて、そんな印象を与えては駄目だ。それに今回のことは全てスクアーロに非がある。そうやって過去の彼を非難することはタブーだとしても、あの空間を瞬時に壊されたことはさすがに私だって耐えられない。このまま彼が決定打となる行動を起こさなければ、私にはそれほどの価値しかなかったということだ。 二週間が経った。ボスのドア前で鉢会った後直ぐに彼は一週間ほどの長期任務に出た。何処に行ったかはさすがに知らされていないが、目の前にスクアーロがいないと私のツンツンした態度も保てなくなっていた。スクアーロに限ってそんなことはないと思うけれど、長い間顔を見ないと職業柄心配にもなる。毎回毎回、よく飽きないなとボスには貶されるが仕方のないことだ。どんなに最低男でも彼は私の恋人なんだから。 その日の夜、シャワーからあがって部屋に戻ると一つの影がソファにあった。眉間に皺を寄せたまま居眠りしているスクアーロだった。シャンプーの微かないい匂いがするので、任務から帰り私と同じように風呂に入ったあとなのだろう。無事でよかった、とほっと一息ついて、頬に触れた。お湯の温度のせいか、普段よりも熱く感じた。ぱちり、と彼の目が開く。久し振りに目があった。たった二週間なのに酷く懐かしい。むくりと体を起こしたためソファに出来た一人分のスペースにちょこんと腰かけた。彼は何も言わなかった。すぐさま、連日の態度のことを聞かれるかと思っていたので拍子抜けだった。 「スクアーロ」 「なんだあ」 「なんで、私が怒っているのか。その理由はわかった?」 「……」 彼の記憶の中にはなかったのだろう、罰が悪いように、どこか居心地悪そうに、視線を彷徨わせている。 「メアリーって誰か知ってるよね」 体こそ震えなかったが、彼は目を大きく見開いた。そして、その名前を聞いただけで自分がどのような失態を犯したのか気が付いたらしい。あのシチュエーションを思い返せば漫画の様な出来事だがそれしかないと断言できるだろう。前日の夜まであんなに仲良しだったのだから。彼は大きな手を目元に当てて、盛大な溜息をついた。マジかよ、とぽつりとこぼす。その台詞はこっちがいいたいくらいなんだけど。 「念のために聞くけど、過去のこと?それとも現在進行形?」 「……過去に決まってんだろお。俺の恋人は一人だ」 「ふうん、へえ、そうなんだ」 「おいおいおい。勘弁してくれえ」 浮気、だと疑っていたわけではない。実際は。古株といわれるほど長い時間機関に属しているだけあって、スクアーロがどのような人物かということはよく知っていた。任務で一夜の関係を築くことはあっても、今という瞬間にスクアーロの隣にいた女性は必ず一人だけだった。そこだけは堅い奴だ。ボスという大きな子ども―なんていってしまってはレヴィに盛大に怒られるかも知れないが、事実上スクアーロへのボスの態度を見てしまえばそう感じざるを得ない―を相手にしつつ、他に女性を二三人抱え込む余裕が彼にはないともいえるだろうけれども。 疲れたように米神を抑える彼に、にこりとした笑みを浮かべた。 「ヴァリアーの幹部たるものが寝ぼけてたからといって、うっかり他の女の名前を口にしちゃまずいでしょ。それともそんなに未練があったのかな、そのメアリーさんに」 早口で捲し立てる。つまりただの嫉妬だった。自然と無意識のうちに彼の口から零れ出るまでの間柄であったメアリーという名の女性に嫉妬をしているのだ。彼だって、何年もこの業界にいるのだから、油断、というものが許されないということを身をもって体験している。そんな彼に無意識のうちに呟かせるなんて。これに嫉妬せずして何に嫉妬すればいいのだろう。過去を妬むなんて検討違いにもほどがあるが、明らかにこれは彼の失態なので少しくらいの意地悪は許されるだろうと思った。何を強要しているのか察した彼は長い長い沈黙の後、息を吐きだすかの如く重々しくその台詞をいった。 「悪かった」 「うん、許す」 間髪をいれずそう答えた。その言葉が聞きたかっただけだった。形式上のものかもしれないけど、言葉の持つ意味はとても大きい。あっさり頷いた私に納得のいかない様に彼は首を傾げた。私は誤魔化すように笑って、彼の広い胸板に凭れかかるように抱きついた。長い髪の毛がさらっと私の皮膚を擦る。鼻をくっつけるとシャンプーの下からスクアーロの匂いがした。結局は私もスクアーロが大好きなのだ。些細な嫉妬で彼を手放したくない。少々、困らせるまでは出来ても、毎回毎回聞きわけのならない女でいるといつか彼の方から距離を置かれてしまう。加減を見計らって、私は彼を許すふりをするのだ。 「スクアーロ、おかえりなさい」 ぎゅう、と隙間を作らないほど強く彼を抱きしめる。優しくされると逆に拠り所がないのか怪訝そうな顔をしていたが、私の言葉を聞いてああ、と目を細めて笑った。できることなら、より長く、私の傍にいてくれますように。メアリーのような記憶の中の女になりませんように。そう願いを込めてそっと口付けた。 101026 ( title by.Canaletto ) |