※ 死ネタ注意 「仙蔵」 名前を呼ばれて、立花は振り返った。隣を歩いていた自分もつられる様に立ち止る。後ろには桃色の忍装束を来た女が居た。、同学年のくのたまである。立花は呼びとめたのが彼女だと解ると即座に傍に駆け寄った。普通ならあまり見られない光景だ。それだけで、彼女がどれだけ立花に大切にされているのかがわかる。このまま立花をおいて行こうか迷っていると、彼女と視線がかみあった。立花をしばし借ります、といった意味合いだろうか、彼女はぺこりと小さく礼をした。先手を打たれて動けなくなってしまった潮江は、とりあえず待っておこうかと内心で零しながら彼女に向けて首だけ軽く動かした。 「委員会のことなんだけど」 「ああ、それなら」 手にした資料を立花に見せながら困ったような苦笑を浮かべる。この会話から推測できるように、彼女は作法委員会に所属していた。底意地の悪い生徒ばかりが集まるというその委員会にどうして彼女が入っているのかは甚だ疑問だったが、作法委員長である立花に問えば迷うことなく答えが返ってきた。一癖も二癖もある下級生がいる中で彼女は癒しだからである、と。物腰も柔らかく、くの一の中でも大人しい彼女は確かに殺伐とした作法委員会では浮いてしまうのは必然的であったが、彼女の性格上弾きものにされるわけでもなく逆に可愛がられる要素となっているようだ。特に下級生から慕われており、行きすぎた奴らを止めるストッパーとしても役に立っているらしい。 彼女は初めて出会った時から人より一回りも小さい奴だった。それはもちろん、背格好のこともあるのだが、言葉遣いや性格も生きがって自己主張の強い忍者のたまごたちに囲まれている中で一層幼く見えていた。年を重ねて少しはマシになるかと思えば、全く代わり映えしない。いつでもくの一クラスの愛玩少女で、一歩間違えれば下級生にみえるような存在だった。それが、悪いと言っているわけではない。くの一であるということは何も戦闘能力に長けているばかりが優れていることにはならないからだ。潜入捜査として城に忍びこむことが多いということは、つまり、行った先々で其処にすぐさま慣れ親しまなければならないということ。適度に人に受け入れられる能力はあって損にはならない。その辺りはむしろ適正があるともいえる。しかし、彼女には忍として欠けているところも多く存在した。状況判断能力、身体能力、そして、人を疑うという心。あまりにも素直すぎるということはこの殺伐とした世の中では仇となってしまう。いつも純粋そうな笑顔を見るたびにその事実が気にかかっていた。 けれど、実際のところ潮江はとはそれほど親しくはなかった。立花との繋がりがあるお陰で顔見知りであるという程度だ。それでも、上級にあがればあがるほど同学年の生徒の数も減り、試験や実習でおのずと顔を合わせることになる。彼女の修行風景を見るたびに、潮江は心に靄を作っていた。イライラとした鬱憤のようなものも溜まっていく。何がそうさせているのか潮江にはよくわからなかったが、とにかく、彼女がその柔らかな手で凶器を扱っている姿を見たくなかった。壊れやすい硝子細工を加減がわからない子どもが振り回しているような気分にさせられた。 「お前、そんなに鍛錬してどうするつもりだ」 四年生の頃、潮江はにそう告げたことがある。当時から実習の成績は落ちこぼれで、どう見ても進級できそうにないくせに鍛錬する姿をよく目にしていたからだ。この頃から大抵の女は目的であった行儀見習いの過程を終えて、実家に帰り嫁入りの支度を始める。女にとってこの時期は人生の瀬戸際であった。このまま学園に残るか、結婚するか。二択に一つだ。当然、当時の潮江はは後者だと思い込んでいた。しかし、諦めずにテストに励む姿は途切れることがない。まさかこの女は残るつもりなんじゃないのかと一抹の不安を抱えたままとうとう声を掛けてしまった。いきなりよく話したこともない男に鍛錬を邪魔された彼女はきょとんとしていたが、不満そうな顔をせず滴る汗を手の甲で拭いながら心底不思議そうに答えた。 「鍛錬は忍の基本でしょう。潮江くんだってよくやってる。私は頑張らないと、五年生になれないから」 「進級するつもりなのか?」 「もちろん」 暗にお前は絶対帰って嫁に行った方がいいという意味合いを含ませたのだが、鈍いのかそれとも気付かない振りをしているだけなのか、屈託のない笑顔で微笑み返された。あいた口が塞がらないとはこのことだ。彼女が自分の顔と名前と、そして鍛錬に励んでいるということを知っていたのに少しだけ驚いたけれど、あまりにも当たり前のように五年に進級するつもりであるとが告げたのですぐさまそんな些細な驚きは忘れてしまった。 「お前は忍には向いてない」 「分かってるよ。でも、諦めたくない。最後まで希望を捨てたくないの」 「何がそこまでお前をそうさせるんだ?忍なんて、女子には荷が重すぎる。結婚して家庭を持つ方がよっぽど満ち足りた生活になるだろうが」 「んー……秘密。潮江くん絶対馬鹿にすると思うから」 「あ?そりゃどういう意味だ」 「そうやってすぐ怒るしね。言わないもん」 人差指を唇にあてて、秘密、といわんばかりの仕草をした。低学年かとほざきたくなる様な態度に呆れながらも彼女の傷だらけの手を見て、少なくとも本気であることには間違いないと悟った。己が望むことを納得いくまで追及しようとするその姿勢は、大変好ましいものだ。真摯に向き合っている奴をこれ以上妨げるのも気分が悪かった。そのうち、限界が来てきっと止めていく。六年まではあがれまい、と無理やり己を納得付けさせ、再び鍛錬を開始しようとしたの頭を軽く小突いてその場を後にした。結局、彼女は六年生まで進級を果たした。潮江の予想をはるかに上回る努力家だったということが証明されたのだった。 ある夜のことだった。新月の夜は忍にとって格好の仕事日だ。闇が己の姿を深く包み込み、敵の目を欺いてくれる。六年の数名は確か今夜、実習が組まれていたはずだ。六ろの善法寺と天敵である食満が丁度それに当たっていたように思う。残り組であった潮江は寒さに身の凍る様な夜風を浴びながらも必死に鍛錬を積んでいた。鋭い忍具が的に連続して突き刺さる中、さわさわと近くの竹藪がざわめく。今夜は普段よりも煩く主張しているように聞こえた。標的に集中しながらも、潮江の頭の奥では笹が掠れ合う音が響いていた。 そんな中だった。落ち着きの足りない乱れた気配が雪崩のように走ってきた。ぴんと張り詰めた緊張が潮江の体を襲う。叫び声や泣き声はしないので敵襲ではあるまい。何事かと額を流れ落ちる汗を拭きながら振り返ると、丁度そこには穴掘り小僧と呼ばれている綾部が裸足のまま一目散に駆けていた。日ごろから落ち着き払っている、何を考えているかよく分からない奴だったが明らからに今の綾部はそれとは異なっていた。悲しみや焦りが全身から爆発するように流れ出ている。潮江に気付きもしないで通り過ぎようとする彼の首根っこ掴んだ。自分と比べれば酷く華奢な体をしている癖に想像以上の力で抵抗され、一瞬慌てた。が、なんとか取り押さえる。 「どうした」 「先輩が」 ぽつり、と綾部は掠れた声で呟いた。自分の嫌な想像が実現してしまったのだということを、綾部のその言葉だけで一足先に読みとった。 「亡くなった、と」 彼の声はほとんど、吐息のようにひっそりとしていた。無表情小僧にこのような表情をさせるとは、彼女がどれだけ作法内で慕われていたかそれが随分とよくわかる。そんなくだらないことを一瞬考えた後に、彼が今し方呟いた言葉をもう一度脳内で反復した。そうする必要性があった。さすがの潮江でも簡単には受け入れられなかったのだ。ただの言葉であったものがじんわりと脳内に沁み込んでいくようにその本質を捉えた。が死んだ。どくりと心臓が嫌な音をたてる。綾部の首根っこを即座に放して医務室へ全力疾走した。後ろから綾部も追っていたが、潮江の本気には到底叶わなかった。 色々な気配が蠢く医務室の扉を開けると、血化粧をべっとりと全身に身に付けたがそこに横たわっていた。出血多量なのだろう頬は青白く、鮮明な赤の色が一層映えていた。目立った傷は腹部のみ。五体満足で幼さが残る顔には傷一つなかった。新野や保健委員、そして仲の良かったくの一、立花が彼女の周りを囲んでいた。下級生のすすり泣く声が葬送曲のように木霊している。ぴくりとも動かない彼女の死体に触れた。その冷たさを指で感じたときに、やっと本当に彼女が死んでいるのだということを理解した。どのような殺され方をしたのだろうか、苦痛の表情は一切浮かんでおらずまるで寝ているような死に顔だった。ぬるぬると血で汚れている前髪を掻き分けてちゃんと彼女の表情が見えるように整えた。とても、愛らしい、顔だ。潮江はこのとき初めて彼女の顔を真正面から見たということに気が付いた。 「文次郎、お前」 険しい顔をした立花が潮江の服の裾を掴んだ。触ってくれるな、とでもいいたいのだろうか。立花を一瞬睨む。しかしどうやらそれは思い違いだったようで、振り向いた潮江の頬をそっと立花はなぞった。彼の冷たい指は湿っていた。それが、何によって濡れたのかは告げるまでもないことだ。目の前に座る立花は悲痛な表情こそしているが、泣いてはいない。だとしたらその暖かい温もりは己のものだ。 潮江は自分でその雫をすくい取った。いつかこうなる日が来るだろうと、わかっていたはずだ。この殺伐とした世界を彼女が生き抜ける可能性は零に等しかった。それでも、彼女の意志が赴くままに留まらせていたのは己にも責任がある。あの時きちんと止めておけばよかったのだ。忍の世界はそれほど簡単なものではないと口を酸っぱくして告げれておけば。数時間前まで生きていた彼女の姿が走馬灯のように思い出された。立花は慰めるように潮江の右肩を軽く叩いた。 「馬鹿な奴だ」 噛み殺した小さい嗚咽とともに、潮江はそう口にした。本当に、愚かな奴だ。自分の実力も見極めないまま、不確かな情熱だけでこの世界に残ろうとした。行く末なんて誰もが想定していたはずなのに止めやしなかった。止めてもきかぬほどの熱意があったということも確かなのだが、なによりもここにいる全員がもっと彼女の傍にいたいと願ったからだろう。好かれていた彼女だからこそ、学園を去って欲しくはなかった。 冷たいの頬に手を寄せて、屈みこんだ。血なまぐさい味が舌に広がる。気がつくのが遅すぎた。何故、自分がこうも彼女の行く末を案じていたのか。それは、彼女に惹かれていたからだ。手放したくないとそう思っていた。それに、今更気がつくなんて。 「俺も馬鹿だな」 月のない夜、一本の煙が忍術学園のすぐそばであがっていた。白いそれは天に届くように高く高く上り詰めて、消えていった。ぱちぱちとなる炎の音だけが辺りを包んでいた。死に化粧に負けないくらい瞳を赤く染めた潮江は黙ってそれを見守っていた。 101219 |