キャリーバックに必要最低限の荷物を入れて、アパートを出た。大学生になって、初めての実家への帰省だ。新幹線の中は暖かく、想定したよりも人の数が少なかったので居心地は良かった。目的地まであと二時間。乗り物酔いが酷いので本を開くことも、携帯でメールを打つこともできない。ひたすら、耳に馴染んだ音楽を聞いていた。退屈だ。コツンと水滴がついた窓に頭を預けた。外は生憎の雨だった。そのまま、目をつむってみる。冬休み前に掛ってきた一本の電話のことが脳裏に浮かんだ。 それは、突然の電話だった。ちょうど提出しなければならないレポートを製作しており、深夜一時を切ったところだった。震える携帯電話を一瞥して、こんな時間帯に珍しいなとディスプレイを覗きこむ。久し振りに見る名前に少し怪しみながらも電話を取ると、成人を過ぎた男性にしては高めの声が耳に入った。 「もしもし、?」 声を聞いてすぐにわかった。実家の隣に住んでいる、五つ年上の幼馴染だ。かなり年齢が離れているので、小さい時はよく遊んでもらっていたが近頃は全く会った覚えが無かった。そもそも、自分が大学進学につれて家を出たので、会った記憶が無いのは当り前だ。それでも一年くらいは間が空いているのではないだろうかと思う。そんな彼から掛って来たいきなりの電話。一体何が合ったのだろう。 「うん、そうだよ。久し振り」 「おお、久し振り。遅い時間にごめんな。ちょっと、話したい事あって」 「ん、なに? どうしたの?」 「いや、な、……冬休み、帰ってくるよな?」 戸惑いがちにそう聞かれる。が夏休みに帰省をしなかったことを知っているのは互いの両親がそういった些細な事を食卓の話題にしているからだろう。ご近所づきあいが長い分、双方の家庭の事情が筒抜けなのは良く解っていたので、今更そこを怪しんだりはしなかった。「うーん、迷ってる」と素直に返答すると「あ、そうなんだ」と残念そうな声が聞こえた。「どうしたの?」と問いかけると、若干照れたような笑いが耳をくすぐった。 「結婚することになった」 その言葉だけ浮いているように聞こえた。時が一瞬止まる。脳の中が真っ白になってしまい、どう返答すればいいのか解らなくなった。答えるべき言葉はただ一つのはずなのに、何と言えばいいのか、本気でわからなくなってしまった。沈黙してしまったに対して電話の主が「おーい」と間の抜けた呼びかけをする。しゅるると意識が戻ってきた。 「そんなに驚くことか?」 「だって、いきなりだったし。いや、違う、そうじゃなくて。結婚おめでとう」 「うん、ありがとう」 電話越しでも彼が頬をいっぱいに緩めている姿が想像できた。つられて、自分も笑う。なんてできなかった。じんわりと視界が歪んでいく。泣いては駄目だ、と必死に自分に言い聞かせた。泣いたら声でばれてしまう。収まれ。せめてもう少しだけ、収まってほしい。ぐっと拳を握りしめて、耐えた。相手は訝しむ様子もなく、「ははー照れるなあ」なんて能天気な事をほざいている。悟られないに越したことは無いのだが、僅かに腹立たしく感じた。 「で? 夜遅くにかけてきたのはその報告の為?」 「あ、いや、それだけじゃねえよ。結婚式を一月の正月明けた、次の週にする予定なんだ。もし、が帰ってくるんなら出席して欲しいと思って」 親戚でもなんでもないただの隣の家の幼馴染をわざわざ結婚式に誘ってくるなんて。それだけ自分のことを大事に思ってくれているんだと嬉しくなる。それと同時に、幸せな彼の姿を直視しなければならないのかという悲しみも襲った。光栄なことではないか。きちんとした見切りをつける場を与えられるのだ。相手を恨むのはお門違いだ。あまりに突然の宣言だったので、気持ちの整理はすぐにつかなかったけれど、口先は立派に役目を果たしてくれた。「うん、行くよ」と、言葉を発していた。 「大切な幼馴染の結婚式だもんね」 そのあと、少しだけ大学はどうだとかありきたりな会話をして、電話を切った。携帯をポスンとベットの上に投げて、大きく息を吐く。先ほどはあれほど涙が出そうだと思っていたのに、現実として受け止めてしまったからか、一粒も雫が零れることは無かった。ただ、その日から寝付きがとても悪くなった。 目を開けると、随分と時間が経っていた。あと数分で目的の駅に辿り着く。長い間寝てしまったらしい。丁度いいこのタイミングで起きられるなんて、奇跡だ。やるではないか。ぼんやりとした頭を起こすために大きく欠伸をする。膝の上に置いていた携帯電話がチカチカと青く光っているのが視界に入った。新着メールが一件。なるほど、どうやら自分の力で目を覚ましたわけではないらしい。バイブの振動に違和感を感じて起きてしまったようだ。送り主は両親だろう。初めて帰省する娘に対して、「ちゃんと時間の新幹線に乗れた?」なんてメールを寄こしてくるほど過保護な親だ。今度は「そろそろ着く?」なんて内容が綴られているんだろうなと信じて疑わなかった。だが、見事にの予想は外れた。件名のないメールには絵文字も何にもない素っ気ない単語が並べられていた。「噴水の前にいる」と書いて送ってきたのは、年上の幼馴染の弟、慈郎だった。 本当のところを言うと、は慈郎を通して五つ上の彼の兄と幼馴染になった。それまではほとんど付き合いの無かった隣の家に、ほとんど同じ頃赤ちゃんが出来て、双方とも近くの同じ産婦人科に通い、すっかり友達になってしまったというわけである。母親同士が仲良くなり、更に年頃の同じような子どもが生まれたとなれば、自然と子どもたちは遊び仲間になる。二人は、物心ついた時から知り合いで、両親の意向に沿って同じ幼稚園に入った。幼稚園から帰った後はよく双方のどちらかの家に遊びに行った。その時に、面倒見役となったのが五つ年の離れた慈郎の兄で、彼は幼い彼らに対してとても優しく接してくれた。 しかし、注意しておかなければならないのは、けしてと慈郎の仲が良いわけではなかったということである。男女の幼馴染といえば、極端に仲が良い場合と、もしくは思春期を向えるにつれてどちらともなく疎遠になっていく場合の二パターンが主だと思うのだが、二人はそのどちらにも当てはまらなかった。自分の意思もわからないほど幼かった頃はともかく、物心ついた小学校の中学年ころからずっと犬猿の仲なのだ。何故、家族ぐるみの付き合いが続いているのかと言えば、慈郎には兄の他に妹がいるということ、そしてには下に弟がいるということで、必ずしも慈郎との二人だけの仲の良し悪しで左右される様な関係ではなかったからが最も大きな理由である。現に、は慈郎以外の芥川兄妹とはすこぶる仲が良い。そして、の弟は慈郎を含めた三人と仲が良かった。仲違いをしているのは、唯一の同年齢であると慈郎の二人だけだったのである。 思えば、物心がついたときから慈郎には嫌われていた。どうして彼がそんなに自分のことを嫌うのだろうかと改めて考えたこともあったが、もうそれが当り前の様になっていたので今更問いただす様なことはしなかった。もちろん、寂しくはあった。小学校や中学校で他のクラスメイトに接する態度とに接する態度では天と地ほどの差があることを知ったからだった。彼は学校の中では、明るくて怒るということをしないような人間に見える。実際はに対して悪魔のような酷い言葉を投げつける様な人物なのに。その豹変振りをみていると、自分には幻が見えているのではないかと思ったこともある。 の方から慈郎に歩み寄ろうとすることはできなかった。幼いころから頑なに素っ気ない態度を貫き通されていたので、妙な意地が存在したのだ。仲良くなんかしてやるもんか、慈郎の馬鹿、そっちから謝るんなら考えてやってもいいけど、など。無視をされるわけではなく、言い合いになることが多かったというせいもある。性格が合わないのだろうとも考えた。そして、高校でそれまで通っていた氷帝学園を出てからは、通学の行き帰りの際に顔合わせるくらいになってめっきり慈郎との接点は減った。彼とは、それきり、だった。 いきなりメールが来たということよりも、自らの携帯に芥川慈郎の名前がきちんと登録されていたことの方に吃驚した。携帯を買ってもらったのは、確か高校合格祝いの時で、慈郎本人とアドレスを交換した記憶はない。恐らく、彼の妹から「どうせ、使わないと思うけど念のため」と無理やり入れさせられたのだろう。昔のこと過ぎて忘れてしまったけれど、多分、慈郎もそういう経緯で自分のアドレスを手に入れたに違いない。 どう返信するべきだろう。噴水の前というのは恐らく、駅前にあるそれのことだと推測できるが。もしかして、迎えに来てくれたとでもいうのだろうか。駅からは最寄りのバスも出ているし、特に交通手段には困らないはずなのに、何故。返信モードに切り替えたはいいものの、何を打とうか迷っていると、ブブブと携帯が振動した。また、メールが入っていた。「いつ着くの?」と書かれている。は伸びた爪を器用に動かしながら短い文章を打った。 「あと五分くらい」 「解った」 本当に、文面だけをみると年頃の男女が交わしたメールには思えなかった。画面に黒と白以外の色素がまるで存在しない。ぷす、と気の抜けた様な息が零れた。この愛想のないやり取りが正に自分たちらしい。懐かしさによって、憂鬱な気持ちが少しだけ晴れた。 キャリーバックを転がして、エスカレーターを降りる。新幹線の窓から見えた、見慣れた景色に、地元に戻って来たんだと実感した。乗り換えの人々が混雑する中、どうにか改札を抜け、外へでる。雨はいつの間にか雪に変わっていた。降り始めなのか積もるほどではない。今年初めてみる雪に感嘆する。道理で新幹線から降りた瞬間、ぶるっと寒さが身にしみたわけだ。 噴水の前に辿り着くと、そこには沢山の若者が誰かを待っていた。正直、慈郎がどこにいるのかさっぱりわからない。ぱっと見渡した感覚では、いないように感じる。まだ到着していないのだろうか。は電話を掛けてみることにした。ワンコールで、ぷつ、と呼び出し音は切られた。 「どこにいんの?」 「はあ? 噴水の前って言ったじゃん。日本語読めないの?」 「……相変わらずだよね、ほんと」 湧きおこる怒りを抑えて、「裏側?」と聞き返す。すると、「時計が見える方」とぶっきら棒に返ってきた。丁度、反対側である。は駆け足で噴水の反対側まで回った。そこには、携帯を片手に持って座っている幼馴染の姿があった。彼は、不機嫌そうに顔を顰めていた。本当に変わってないなあと言おうとした矢先に、彼が立ち上がる。言いかけた言葉を飲みこんだ。 「前言撤回。でかくなったね、慈郎」 「うっさい」 は背が高い方で、中学の後半で168cmまで伸びた。そこで成長期は止まりそれ以上記録を更新することは無かったのだが、慈郎は昔から小さくてほとんどと変わらないくらいの身長だった。今は175cm程度あるのではないだろうか。昔と異なる視線に吃驚して、思わず笑ってしまった。そういえば、彼は身長のことを気にしていたように思う。「あれだけ寝ているのにどうして伸びないんだろう」とよく愚痴を言っていた。もそれには同意見だったのでよく覚えている。 慈郎はのキャリーバックをもぎ取って、さっさと歩き始めた。 「おばさんから電話入って、雪が降って帰るの大変だろうから迎えに行ってくれって言われた」 言い訳のように口にする。は吹きだすのを堪えて、慈郎のあとを追った。彼も、大人になったということだ。嫌いだからと言って、それを態度全面に押し出さなくなった。は、慈郎の初めての優しさに触れて、くすぐったいというよりも痒いようなもどかしい感覚を味わった。 「どうして帰って来たの?」 車に入るなり、慈郎はそう問うた。どうしてって、と言葉に詰まる。先ほど成長を感じ、関心までしていたので正直落胆が大きかった。折角の休みの日に、わざわざ隣の幼馴染を迎えに行かなくてはならず機嫌が悪いのは解るけれど、何もそんな言い方をすることはないだろう。そう口にしてしまいそうになったが、寸のところで堪えた。ここで怒鳴り返しては意味がない。それこそ昔の繰り返しだ。自分の成長したところを見せてやろうではないかと、極めて冷静に答えた。 「正月くらいは実家で休みたかったんだよ。ここのところバイトばっかりだったし、年末年始くらいは、ね」 本当は、そんなつもり全くなかった。どうせ家に戻ったところで大掃除に駆り出されて、紅白を見て、家族で初詣に行って、お正月の特番を見て寝て過ごすだけだ。それなら、バイトをしている方が随分金の為になった。慈郎は車のエンジンを入れながら、ぽつりと返した。 「違うでしょ」 「何が」 「……兄ちゃんの結婚式に出るためでしょ」 ぼうとエンジンがかかったことによって暖房が車内に入り始めた。だが、その暖かさを感じることは無かった。緊張が、を襲う。自分の気持ちが、慈郎にはばれている。何時からだ?とそんなことを考えた。が己の恋心に気が付いたのは随分前だ。慈郎が今まで気が付いているような素振りを見せたことは一度もない。焦りによってぞっと背中が震えた。外に居た時よりも、この密室の中の方が寒い気がする。のうろたえはそっくりそのまま表情に表れていたようで、皮肉気に慈郎は笑った。 「わかりやすっ」 ぷく、と吹きだす音が耳に入った。馬鹿にされている。今までを押しとどめていた理性が外れそうになった。目の前の男を殴りたい感情に支配された。つい、攻撃的な口調に切り替わってしまう。 「なに、みじめって笑いたいの? なんなの? アンタ一体何がしたいの?」 「違うよ、あほだなって思って。なんで、わざわざ、が兄ちゃんの結婚式なんて出る必要があるの? 傷つきに帰って来た様なもんじゃん。馬鹿らしい」 「大切な幼馴染だからだよ。……ケジメをつけたいものあるけど」 慈郎に客観的に批判されて、脳内ではひょっとしてこれから自分がとる行動は愚かなのだろうかという気持ちが少しだけ湧きあがった。しかし、すぐさまフルフルと首を振る。自虐的な行為かもしれないが、意味のあることのはずだ。元々、いつまでもこの宙に浮いた様な感情を抱えて行くわけにはいかないと思っていた。にとっても新しいスタートとなる。ぐるぐると黙って脳内で考えていると、会話を放棄したとみなされたのか慈郎がぽつりと独り言を呟いた。 「一番馬鹿なのは、俺だけどさ」 「……なにが?」 「なーんで、この女は、鈍いんだろうね。嫌になっちゃうよ」 慈郎はがしがしと頭を掻いて、ハンドルに顔を埋めた。 「あのさ、俺はずっとが兄ちゃんのこと好きだったの、知ってたよ。多分、が自覚する前から。小学生くらいだと思う。の視界には兄ちゃんしか入ってないんだろうってことに気が付いたの」 「そう、なの?」 「そうなの。でも、何もしねーんだもん。兄ちゃんに告白して玉砕するなり、他人を好きになるなり色々方法はあったと思うけど、一向にしないし。クラスメイトに告白されても断るし、コイツ何がしたいんだってずっと不思議だった」 慈郎の暴露に、意表を突かれた。そして、慈郎にうじうじした自らの恋を見守るとまではいかないが観察されていたことに恥ずかしさを感じる。他人の口から語られる自分の姿はとても情けない奴だった。ただ、どうしても腑に落ちないことがあるので、続く慈郎の言葉を遮って問いかける。 「……なんで玉砕って決めつけてるのかな?」 「五歳も差があるんだから当たり前じゃん。もそう思って告白できなかったんでしょ?」 「そうだけど。改めて言われると腹が立つ」 突っ伏した腕の隙間から慈郎がちらりとこちらを見上げた。視線が合って、はあ、とまた彼は溜息を吐いた。「話がそれた」と苛々したように言う。 「ねえ。ここまで聞いて、はなんにも思わないの?」 「慈郎がやけに私のことを観察してて、気持ち悪いっていう感想は出てきた」 「……もういい」 ぷいとそっぽを向かれる。そういう子どもっぽい態度はいつまでたっても残っているんだな、と苦く笑った。子どもの頃は、年上のくせにの弟にまで甘えて、しかもそれが何故だかわからないがすんなり通るので、どうしようもない奴だと思っていた。「慈郎相手だと許してしまいがちになっちゃうんだよね」、と弟が繰り返し弁明していた記憶もある。今ならその気持ちが少しだけ解ってしまうかもしれない。 「解んないから、ちゃんと教えてよ」 は、普段だったら死んでも取らなかった行動を取った。慈郎のふわふわの髪の毛に手を突っ込んだのだ。ぎくりと慈郎の身体が固まる。即座に叩かれると思った右手は、何秒たっても慈郎の髪の毛に触れていた。そこで、は確信をもった。けれど到底信じられなかったので―過去の彼の行動と照らし合わせれば当然の結論である―きちんと口で教えてくれと要求した。ゆっくりと、一定のペースで撫でる。慈郎は暫く無言だったが、ややあって、はっきりとした声をだした。 「が兄ちゃんに夢中なのが嫌だった。俺の幼馴染なのに、俺なんかそっちのけで、兄ちゃんがいればいいみたいな態度を取ったのが許せなかった。冷たくしても、泣いて縋ってくるどころか反抗してくるし。終いには、どうでもいいような態度をされて、悔しかった」 好きな子を苛めたいというよりも、嫉妬の矛先がその本人に向けていたということらしい。彼もさすがに子どもの言い分だと自覚しているようで、顔を上げ正面を向いて話そうとはしなかった。後悔しているようだ。は、微妙な心境だった。慈郎に嫌われていたのではなく反対に好かれていたなんて。そこで、はっと気がついた。慈郎も彼の結婚を機会に、ケジメを付けに来たのだと。「なんで帰って来たの?」と怒っていたのは、過去の自分の本心を晒したくなかったがための、最後の悪あがきだったのだ。惨めな人間が二人に増えたところで、はくすと笑った。タイミング悪く笑ってしまったので、彼は怒ったように顔を上げる。視線が合った。「ありがとう」とは言った。 「気が楽になった。結婚式、泣かずに済みそうだ」 「今の会話のどこにそんな感情にさせるものがあったの?」 「だって、慈郎、結婚式でるよね? 慈郎が隣に居て慰めてくれたら、泣かないでいられる気がする。実の兄ちゃんに嫉妬して、その嫉妬を私本人にぶつけてくるくらい、私のこと好きでしかたがなかったんでしょ? 慰めることくらいしてくれるよね?」 「……どうしてもって言うんなら」 はあと溜息をつく慈郎の肩をパンと叩いた。「頼りにしてるよ」と付け加える。彼はのそのそと起きあがった。ようやく、視線が同じくらいの高さになった。 「で。返事は?」 「いるの?」 「いるよ。当たり前じゃん」 「今答えたら確実に慈郎を振るけど」 「……」 「ケジメを早くつけたいなら、此処で言うよ」 「もうちょっと取っといて」 ただ、ケジメを付けたいがために内心を吐露したのなら、そう言わないはずだ。彼は、一部の望みをに対して抱いている。はそれがまんざらでもなかった。素直に表現すると、嬉しかった。しかしながら、やはり、長い間想い続けていた相手の存在がまだ大きく、中途半端な気持ちで慈郎に答えたくないという理由が先立った。不貞腐れながらも、車を動かし始めた彼に向けてそっと呟く。先ほどの新幹線の中とは打って違った感情が、の中を埋めつくした。 110922 ( title by.Canaletto ) |