決意という決着   



 がちゃり、と扉を開く音がした。朝っぱらから誰だ、と思わずにはいられなかったけれど眠気が勝ってもぞりと入ってきた寒さに反抗するように丸くくるまっただけ。最近は早起きして跡部くんと散歩に出かけていたからのんびりした朝は久しぶりなのだ。せめて7時までは寝かせてくれよ、と思いながら再び夢の中に入ろうとする。と、ばさあと布団を一気にめくられた。

「起きろ。」
「おはよう、。」
「……おはようございます。」

 目の前に起きている状況に思考がついていかなかった。ぱちぱち目をまたたかせているとくすりと漏れる声。どう見ても朝っぱらから私の部屋に侵入してきたのは母親ではなくて父親でもなくて、跡部くんとなのである。びっくりしたままだったので思わず敬語になってしまった。ぽかんとしている私を凝視する4つの目の視線をじりじりと感じていたところでとりあえず口を開く。理不尽な答えが返ってきそうな気はするけれど。

「えっと、は百歩譲っていいとして、なんで跡部くんが私の部屋に?」
「コンプレックスを取り除きにとでも言おうか。」
「そして私はその協力者とでも言っておこうかな。」

 なにやらまた全ての事情を知ってしまったかのようには厭らしい笑みを浮かべた彼女からことの成り行きのほんの一部を教えられた。つまり、は朝から私の家に入るための口実として呼ばれたそうだ。たしかに見ず知らずの男がたとえ同級生といえど他人の家に入るのは疑わしいものがあるだろう。そこで女友達のをだしにして入ってきたというわけだ。そして、どうしてそんな朝っぱらから私の部屋へ入らなくてはならないのか、その理由を聞き出したところそれはこれから行くところで全てわかる、と。今日は水族館へいく予定ではあったけれど待ち合わせは10時ではなかったか、と問いかければ水族館の開館時間が10時なだけだと屁理屈を返してきた。どちらにしろ強制連行なことにはかわりはないらしい。とりあえず着替えてコンタクトとおかねをもったらそのまま連行されてしまった。どうしろたというのだ本当に。

「信じられない。」

 口にしたのは今朝の跡部の奇行ではなく、ましてや友人のの裏切りとかそういうことへ投げかけた言葉では一切ない。鏡を見て呟いた自分自身に対することばである。ぱちぱちと凝視しているとくすくすと笑う声が聞こえた。スタイリストさんとでも言うのだろう、いままで私の顔や髪の毛を丁寧に着飾ってくれた人があまりの私の絶句した表情に笑みをこぼしていた。その隣で跡部もくつくつと笑いをこぼしている。何がそんなにおかしいのか、ありのままの言葉を素直に口にしただけなのに、といったことを告げるとそれがおかしいんだばか、と追い打ちをかけるような言葉が返ってきた。

 今まで化粧をしたことがないといってもこんなに変わるものなのだろうか。くすみもあった肌はファンデーションで綺麗に隠され、頬には血行のよさそうなチークが塗られている。目もとはラメが入っていてとてもキラキラしているし、アイプチで二重にはなっている上にマスカラで目もとぱっちりだ。そしてサイズがないないと言って諦めてきた服も体格が目立たないような黒をメインとしたでもお洒落で可愛らしいふんわりとしたスカートなど着たこともないようなかわいい洋服を着せられる。髪の毛もくるりとヘアアイロンで巻いたのちに上であげられていた。誰だこれ、と呟いた自分の感想は本当に素直なものだと思う。唯一自分だとわかるのは体型のみだ。くつくつ、と跡部くんは笑みをこぼして片手を差し出した。今だメイク台の前に座っていた私を立ち上がらせる。

「人は変わりようによってはこれくらい、いやもっとこれ以上に変化することができる。散々いっていたコンプレックスは少しは軽減したか。」

 私が跡部くんのことをそういう風に見ることを拒む理由の中の1つとして外見のことを幾度もあげていたのは自覚していたがまさかこのような手段に出てくるとは思いもしなかった。それと同時にここまで跡部くんにさせてしまった自分がなんとも情けなくなる。こんな風に手を加えられるまで気にしていたということを悟られていたのだろうか。早朝ならまだしも真昼間から普段通りの私の姿のまま跡部くんの隣を歩きたくないとか、そう思っていたことが伝わっていたのだろうか。お抱えのスタイリストだから服など気にしなくていいとまで言ってくれた彼の真意をここまできても疑ってしまう自分に悲しくなった。どこまでも私は自分が傷つくのがいやで素直になれないでいる。跡部くんはこんなにも惨めで情けない私の肩を押してくれているというのに。泣きそうになってしまったのでつながれた手とは意識せずにぎゅっと握り返してしまった。涙腺を抑えるので必死だった私の状態をどうとったのかわからないが、彼はやんわりと微笑んで握り返してくれた。

「行こうか。そろそろ10時だ。」







 水族館へ来たのは何年振りだろう。恐らく小学生のときに見た白イルカの赤ちゃんの記憶が最後のことだったと思う。薄暗い暗闇の中を歩きながら普段は見ることのできない熱帯魚、またさまざまな品種の魚1つ1つに目を通した。実際のところ、そのまま繋がれた状態である右手が気になって気になってどうにか意識しないようにと魚に視線を向けるしかなかったのだが。跡部くんはなんというか跡部くんらしくこういった場所にデートに来たことはないといって物珍しそうにしていた。恐らく跡部くんとデートするならもっぱら映画、テニス、音楽などの分野が上がるのではないだろうか。過去の彼の女性を細かく知っているわけではないが、どちらにしても水族館初体験の跡部くんは心なしか楽しそうではあった。うにょん、と触覚を突き出したアンコウなんかは特にツボに入ったらしい。彼のツボはかなり謎である。ガブリエルのことからしても彼は動物、もしくは生物を割と好んでいる様子が悟られたのでどうやらこの水族館もお気に召したよう。冗談半分でイルカのショーとかいかないか、と誘えばいいぜ、と思わぬ反応が返ってきたりもした。

「かわいかった……!」

 くるくると室内プールの中を泳ぎ回っていた白イルカたちにごっそりと私のハートを持っていかれたような気分になる。時々やんちゃなイルカがぱしゃりと水をこちらにまでかけまくっていたがそこはご愛敬。キュキュイ、と高音で甘い声をその後にあげるものだから結局かわいいの一言で許されてしまうのだ。隣に座っていた跡部くんもそうだな、と笑みを浮かべていた。あまりにもその表情が緩んでいたので、跡部くんの家の事情をとっさに思いだしからかうように彼に告げた。

「イルカ飼いたくなった?」
「そうだな……別荘には別途でプールも付いていることだし、それも悪くない。」

 と、途端に真剣な表情でさらりとこう返された時には沈黙を返してしまった。もちろん、後にジョークだ、と呆れたようにささやかれたがあの声はかなり本気もまじっていたと思う。恐るべし跡部家。そして、そののちに触れるミニプール、ヒトデと戯れようのコーナーにて小さなお子さんたちに交じってヒトデを撫でまくる私たち。けれどさめたような視線は向けられず、むしろ跡部くんのおかげでおくさまたちの視線が熱いものへと刷り変わる。独特の手触りのヒトデを二人で堪能し、ラストのお土産コーナーへと移った。最初から最後までの流れを通してみるとホントに今日はデートのようだった…否、少なくとも私はそう感じていたし、隣にいる跡部くんもそう感じていたのだろう。今までされたことのないようなレディーファーストというさりげない優しさを終始見せてくれていたし、なによりずっと繋がれたままの手。事あるごとにタイミングを見計らって手を離すものの、いつの間にかしっかりとまるで元あったところへ戻ったかのように握られているのである。年頃になってこのぷくぷくとした手を握られることなどあったことがないので私は常に恥ずかしく感じていた。

「お土産か。どうしよう、になにか買って帰ろっかな。」

 水族館、ということで魚たちがテーマにされたサブレやキーホルダー、そしてメインといわんばかりにどっさりとさまざまな種類の人形が置かれていた。私はこれでも一応女なのでそれほど中に入るのも気まずくないのだが果たして隣の彼はどうなのだろうか―チラリと視線を向けると恐ろしくひょうひょうとしたままの態度でシロナガスクジラのミニ人形を手にとってはしげしげと眺めていた。きっとこのような場所に来る機会が滅多とないためだろう。ぬいぐるみで有名な某ネズミー王国も彼にはとんと縁がなさそうに思えた。あは、と小さく笑いを零せばそれにいち早く気づいた彼はむっと眉をしかめるもすぐさま今度は隣のペンギンへと手を伸ばした。開き直ったに違いない。とりあえず、のお土産はこの白イルカのキーホルダーにしよう、とそれを籠に入れる。と、目に入ってきたのはどどんと傍に置いてあった二対の携帯ストラップであった。宣伝するような用紙にハートのイラストがかわいく書かれている。どっからどうみても、カップル用のものだ。こういうものにとんと縁がない私はどこかやりきれなさを感じながらもはあと息を吐きくるりと反対へ振り返った。だから私は跡部くんもその様子を見ていたことに気がつかなかったのだ。ひょいと振り返った矢先に肩をつかまれぐいと引きとめられる。

「こういうの、いらねぇのか。」
「は……?」

 こういうの、と指されたいかにもカップルという様子のイルカたち。まさかペアものを彼が欲するなんて思いもよらなかった、というか、そういうことをされるの嫌いそうだなと思っていたのだが。眉間のしわがこくなっていることにうわ、と嫌な気持ちを抱きながらも即座に首を振った。

「いらない。そういう関係じゃないし、買うの恥ずかしいよ。」
「デート、だろ?俺が出すから、これくらい買ってもいいだろ。」
「……なんか、跡部くん意外。こういういかにもペアっぽいの毛嫌いしそうなのに。」
「別に、いいだろ。記念だ記念。」

 そういってさっさと手に持ってレジへ並ぶ彼。物へ想い出を託すために記念として買うというのはほとんど女の子の発想なのではないか、と思わずにはいられなかったけれど店員の目も周りの目もあるというのに自ら私たちカップルなんです、と言わんばかりに手をつないでレジへと並ぶ姿を見せつけているのには頭が痛くなった。当然、事実は違うわけではあるのだが、どうしてもこう暗闇の中ならいざしれず明るみにでてしまうと腰が引けてしまうのも確かな事実。周りにどう思われようと彼がそうしたいのならそうればいいのだが、そこに比べられる対象として私が存在するとまた別の話になる。「似合ってない。」「かっこいいのに趣味悪いねー。」「あれならすぐ奪えそうじゃん。」なんて言葉が聞こえてくることにまた酷く自分の情けなさを全面に出されたような感覚にさえ陥る。だから、跡部くんの隣に立つのは嫌なんだ、と。跡部くんが悪いわけではない自分がいけないだけなのに。やはり、この関係は望ましくないものだ、としり込みする気持ちでいっぱいだった。くい、と繋がれた手だけがこの場にいてもいいよ、といってくれているようだった。彼もそのやり取りを聞いていたのであろう、白い袋に詰め込まれた二つのストラップを受け取ったあと静かにそれを私に手渡した。私のために買ったのだと言わんばかりの動作に照れを感じあわてて視線をそらした。

、次はどこへ行く?」

 初めて呼ばれた下の名前にドキドキと胸が締め付けられるのを感じた。つながれっぱなしだった手は湿り気を帯びていて、苦笑いを返しながらじゃあ、と次の行き先を指定する。最後の最後まで彼は私をまるで本物の彼女のように扱ってくれた。これは、なんという夢だったのだろう。痛すぎるくらい優しい態度をかけてくれる彼に一方で私はとても自身のことを嫌いになっていた。けれど心のどこかで今日という日が終わらなければいいのに。このまま決着をつけてしまわないでゆるりとした緩い友情でもない恋人でもない関係を続けていけたらそれでいいのに、と思わざるおえなかった。





*091025   跡部が必死すぎてかわいいor気持ち悪い、どちらの解釈でもいいと思います。