そうだね君が好きだったんだ 



 何の変哲もない一日だったはず。特に授業で当てられたわけでもなければ、何かへまをやったわけでもない。朝の占いは5位という良くも悪くもない微妙な結果。しかしながら部室に入った途端、がしりとつかまれた肩は何かとてつもなく悪い予感がした。

「なあ、岳人。跡部とさんが付き合っとるっていう噂ってマジなん?」

 向日の肩をつかんだ張本人は彼のダブルスパートナーの忍足だった。意外な事実に目をきょとんとさせる向日をじーと真剣に見詰めてくる。その距離間が気持ち悪いと思いながらとりあえずシカトしてスポーツバックを自分のロッカーに収めると今度はジローがとてとてと近づいてきた。彼がまじめに部活に出ているとは珍しい。ということはかなり本気でこの返答を向日に期待しているというわけか。なんとなくわかるような気もする。

「なーなーマジなの?あのありえない噂。」
「跡部に聞けよ。てかなんで俺に聞くわけ?」
「だって岳人、さんと仲ええやん。俺てっきり岳人がさんのこと好きなんかとおもっとったわ。」
「阿呆、ダチだダチ。女と仲いいからってなんでもかんでもくっつけんな。」

 そんなことをされたから自分は確実に跡部に殺される。と書店で出会った時の夜、脅迫まがいのメールが向日に届いたということは彼女に報告済みだ。それにしても、とうとうは跡部と付き合うことを承諾したのか。あの跡部の勢いなら彼女が跡部に落ちるのも時間の問題だとは思っていたし、彼女も彼女で変わり始めている。それはきっと跡部を意識してのことだろうと踏んでいたのでなんにもおかしい部分はない。しかしながらここで自分が肯定を示すのも事情が内通するほどあの2人のことに詳しいと思われるのもなんだか嫌だったし、自分は今初めてそのようなことを聞いたのだ。は幾度か向日に跡部のことに関して問うてきたので、報告か何かあってもよいはず……律儀な彼女ならは必ずやると思うのだが。照れているだけなのか、と首を傾げた。そのとき、キィとドアノブが開く音がして噂のその人が中に入ってきた。途端にシーンとなる空気。居心地悪いっての、と小さくぼやき目の前の忍足に言ってやった。

「なんなら本人に聞けば?」
「んな恐ろしいことできるわけないやん。」
「なら俺も知らねぇ。」

 忍足が肝心なところで保守的なのはパートナーとして当然知っている。しかし、その隣にいたジローはまた別だ。あいつはある意味、恐れるものが何もない。

「あとっべー、さんと付き合ってるってマジ?」
「どこから聞いた。」
「んー、単なる噂だよー。昨日、跡部とさんが一緒に帰るのを見たってのが根拠だしー。」
「後半は当たっているが、生徒会関連で送っただけで付き合っているという事実はない。」
「なんやデマか。」
「時間の問題だがな。」

 さらり、と爆弾発言を残していった跡部にかちんと周りの空気が固まる。これぞまさに氷帝の部室って感じ……いやいや、確実に雰囲気悪いから。固まった忍足をみて、あーあ、と思いながらも自分も屋上で生の現場を目撃した時のことを思い出した。そういえばジローはこんとき隣にいたんだよな、爆睡したけど、と思い返す。ラケットを取りだしながら憐みの視線を忍足に向けていると名前を呼ばれた。部長として自分を呼びだすなんてめったにないことだ。先にコート入ってろよ、といまだにぷち放心状態の忍足に声をかけて跡部についていく。なんとなく予想はつくのだが。

のことだろ。女子の嫉妬って怖ぇもんな。」
「隣の席なんだから、少し、気にしてやってくれ。さすがに授業中はないとは思うが。」
「下手に跡部が出ても嫉妬心煽るだけだろうしな。…失敗したな跡部。」
「お前に言われる筋合いはない。」

 少なからずうかつだった、と思っているのだろう。声色はいつもより数倍堅かった。そもそも、と言葉をつづけたが向日はそれを濁した。それほど彼女に執着しているのはなぜなのだろう。仲が良くなったとはいえ、彼女を性的な目線で見られるかといえば話は別だ。外見を気にしないとしてもやはり向日には抵抗があった。見目が麗しい跡部なら尚更、と思わずにはいられない。

「跡部はさあ、どこに惚れたわけ。」
「揃いも揃って同じことを聞きやがる。答えるわけがないだろう。」
「だよなー。ま、できる限り見張るようにはしとくぜ。」

 ああ、頼む、と返した跡部は酷く疲れた表情をしていた。







 おかしいとは思った。クラスに入った途端にぴくんと突き刺さるような視線。先日のことを思い出すと身に覚えがありすぎた。それにしてもそんな短期間で噂って広まるものなのだろうか。ぐつぐつと煮えくりかえる腸を抑えながらも耐える。もはや忍耐、それだけだ。状況を知っているのか知らないのか友達は何も言わない。まあ普段なら校内で広まっている噂なんて立ち聞きしなければ私たちの間には広まってこない。経由するルートがないからだ。今回は特に、対象の目の前でそのような噂をぽろっと零す人なんているわけがない。どうしたものか、と頭を抱えていると明らかに美人なお姉さんからのご指名が入る。え、ちょ、ま、……行くわけないでしょう、と呟きたくなるがそんなことを発する勇気なんて皆無だ。

さん、ちょっとよろしいかしら?」
「ええと、…なんですか。」

 リンチ、ではなくて本当に助かった。背後にはそれでも2〜3人いるけど武器なんかも手に持っていない。元々噂の信憑性を確かめたくて呼びだしているのだろう。ベタに放課後の体育館裏。このシチュエーションは告白かリンチかどちらか2択だ。明らかに自分の場合は後者だけれども。いかにも品のよさそうな彼女は憂いを帯びた表情を浮かべながら微笑む。しかし目が一切笑っていない。綺麗に微笑んでいるはずなのにその笑みには凍てつくような冷たさが含まれている。

「貴方と跡部さまがお付き合いをされている、という噂が流れているのですけれども、御冗談ですわよね。」
「当たり前です。…おととい、生徒会の仕事を提出するため下校が遅くなり、送ってくださっただけ、です。」
「そうですか。それを聞いて安心しました。」

 デブというのはそれだけで恋愛対象から除外されたものとして見られる。今回ばかりは本当に自分が自分で助かった、と思う。彼女たちも私が跡部くんの彼女になるだなんて思ってもいないのだろう。このような噂を流したのは誰なんだばかばかしいと心の中でささやき合っているに違いない。虚しいけれど、世間から見たらそれが当り前なのだ。

「ああ、それと。あまり跡部さまの迷惑にならないように、自粛してくださいませね。貴方なら…夜間に1人で歩いていても、襲われませんでしょう?」
「全く、その通りですね。」

 理不尽なその言い草に胸糞が悪くなる。先日、自らが吐いたセリフとまったく同じであるというのに彼女たちから言われるとこうもイライラするのは明らかに嘲笑の意が込められているからだ。けれどここで逆切れしてもなにもよいことは生まれない。女子社会は恐ろしい。権力のある人間には関わらないこと、それが平穏に生きていくために必要なスキルだ。でも、こんなにも胸をかきむしるくらい苦しくなったのは外見を辱められることには慣れているけれど、だからといって傷つかない自分がいないというわけではないからだ。誰もいなくなったその場所にぺたりとしゃがみこんでポソリと呟いた。

「わかってるんだからこれ以上抉らないで。」

 跡部くんのせいだ、と思うがそれは八つ当たりだ。噂云々に関しては跡部くんに責任をとってもらっても構わないとは思うが、この心の痛みは今まで怠慢してきた自分自身への罰だ。みんなが綺麗なのは生まれ持ったからだ、と各パーツを見ればそう思うこともできたがそれなりに個人個人が努力をしている。早い時点でそれこそ昔から気を使っていればこんなにぶくぶく太ることもなかっただろうに、自分の諦め癖が捻くれた性格と重なってこんなところまで来てしまった。ひくり、となる喉はカラカラに乾燥していて痛かった。







 わかっていない、とそう思う。忍足の言葉、ジローの言葉、向日の言葉。全てにおいて彼らは彼女を女性として認めていないかのような口ぶりだった。向日の場合はそれでも友人として彼女を思っているからこそ、あんなに率直に聞けたのかもしれないが、こちらからすれば彼女の魅力に気づかないものこそがただの凡くれた奴だと思わずにはいられない。

(どこに惚れたか、ね……。)

 にしても向日にしても同じことを聞いてくることにくつと笑みを零す。彼女は彼女なりに自分がどうして好かれているのかを本気で疑問に思っているのだろう。向日はそれこそ思っていたよりもとっつきにくくない彼女を友人としては認めているが性的な意味を彼女に持つのはできないと思っているのだろう。確かにぱっと見冴えない女だと思うことは確か。しかしふくよかなあの顔をより丸くさせて微笑む顔は愛らしいと言えばいいのかわからないが、普段表情の変化があまりない彼女からすればそのギャップがまたいい。加えて、跡部が彼女に惹かれた原因はまだたくさんある。答えなかったのはいちいち挙げるのがあまりにもばかばかしいため。そもそも彼女は内面もしらないくせにとこぼしていたが、自分がいつから彼女の存在を意識していたかそれは誰も知りはしないのだろう。

 高1の春だった。跡部とは1年時も同じクラスであった。他校から編入してきたのであろう、見慣れない生徒だったが特に溶け込むわけでもなく隅っこでほそぼそとしているやつ。はっきりいって当初の印象はそれまでだったのが、ある時をきっかけにそれはがらりと変わる。それはいつかの放課後のこと。中等部で活躍が大きい跡部は入なりすぐにレギュラーへとのし上がった。それは先輩方にとっては屈辱以外の何物でもない。ただでさえ人数の多い氷帝ではレギュラーを目指したままなれずじまいに終わる輩も少なくはない。そんな中とって現れた1年生にその座を奪われたことに嫉妬の眼が集まるもの事実。中にはそれをあからさまにぶつけてくる奴もいた。呆れたものだと思っていたが問題を起こすわけにもいかない。それをちょうど目撃していたのが、だったのだ。

「彼が今の実力を持っているのは、彼が人よりも努力しているからであって、けして先輩方が彼を罵倒していい理由にはなるとは思えません。なにより、みっともないです。」

 奥でじっとしている印象しかなかった彼女がさらっと口にしたその台詞。びくびくとして逃げ出しそうないかにも真面目な彼女に言われて一瞬ぽかんとし、みっともないと言われた言葉に返すこともなくくすくすと笑って奴らは出て行った。あんなのに好かれるなんて跡部同情するわーとかなんとか言ってとっとと退散。跡部はそれこそみっともない台詞を吐いている自覚がないのだろうか、と思っていたが口にはしなかった。その代わり、目の前でまた静かに読書を始めた彼女に視線を向ける。よく見るとその表情は無表情を装っているためかぷるぷると震えており、足もがくがくと動いていた。2つ上の見知らぬ男に反論するなんて恐ろしくないわけがない。

「…不快な思いをさせてしまったらすいません。特に好意を寄せているわけでもなければ、庇おうとしたわけでもないです。ただ、あの姑息なやり方と言い草に勝手に腹が立っただけなんで。」

 過去のトラウマでもあるのだろうか、まるで自身が経験したことと重なったかのようにああいった場面をみるとイライラするのだと告げた。その見るからにしてふくよかな外見としゃれっ気の1つもない外見では仕方ないだろうな、と思いながらも彼女もまた心の中で格闘しているのだと悟った。なにより、まっすぐ人を見て他人に意見を言える彼女を跡部は初めてみた。そういうことをしなさそうな彼女に目の前でそれを行われるとなんとなく気になる存在になってしまった、というのはわからない話でもないと思いたい。

 ずっと気にするようになればそれなりに短所も見えてくる。わかっているのに実行しないところやあまりにも捻くれた考え方で同タイプの人間でないと上手く付き合えないということ。あのときの静かな怒りはどこへいった、といわんばかり消極的なのである。それを全て含めたうえで跡部は彼女を好きになった。触りたいと思った。これを恋意外のどのような言葉で表わしたらよいであろう。まぎれもなく自分は彼女を手に入れたいと望んでやまないのだ。





*091011   伝えられない気持ちの裏側。