![]() ![]() 着信が鳴るごとにびくびくするなんて今までなかったはずだ。絶対。手にした白い携帯電話を即座に開いて届いたばかりのメールを確認する。返事はイエス、だ。思いがけなかった。今まできちんと返事をしたことすらなかったから、そろそろ向こうにも呆れられている頃だろうと思っていたのに、思いっきりきちんとした返事が返ってきた。このメールの発端は向日くんだった。あの日、雑誌に書いてあったことを参考にまず眉毛を整えた。これだけでも大分印象が違うといわれた。そして、髪の毛も雑誌に載っていた丸顔でもだいじょうぶな髪型に変えてもらった。それからメガネも来週中にはコンタクトに替えるように親にお願いしてみた。ちょっとでも、かわいくなりたかった。その変化を一番最初に誉めてくれたのは向日くんだった。その日以来、もっと自然と話せるようになって、じわじわ会話を進めていったところ、私と跡部くんの告白のところから彼は知っていたらしい。んで、テニス部で掛けなんてしていないし、罰ゲームなんて聞いたことがない、と念を押してくれた。後から来た脅迫メールで恐らく跡部が本気なんじゃなのか、ということをさりげなく教えてくれた。これで跡部くんへの信頼度が10%上がったのだ。それで、そこからダイエットには何がいいんだとか、納豆いいんじゃね、とか運動しなくちゃだよな、とかそういう話が流れ始めたのだ。そしたら、おもむろに彼が跡部くんは毎朝犬を散歩に連れていくついでにジョギングしてるらしいぜ、と言っていた。いい機会だから跡部と向き合ってみたらどうだ、とも。だから私は意を決してメールならぬものを送ってみたのだ。 「跡部くんの家に犬がいるって本当?」 「岳人に聞いたのか?」 「うんそう。何犬?」 「ゴールデンレトリバーだ。興味あるのか?」 「うん。犬好き。」 「……見にくるか?」 「行きたい。」 と、先ほどまで打ったのはここまで。今しがた返ってきた返事には「いつがいい?」という内容が書かれていた。本当にいいんだ、と思いながらもぴこぴこと震える手で打つ。冷や汗をかいてきた。よく考えたらあの跡部くんに対してかなり失礼な文面で送っているんだよな。でも、下手に敬語とか使うのやめとけよ、となぜか向日くんから注意されてたし、仕方ない。一度正面切って怒りをあらわにした態度を取っているから、今更ため口だって大丈夫だろう。よくよく考えたら同い年だし。 「明日の朝でもいい?」 「…は?朝だと?」 「一緒に散歩したいんだけど、迷惑だったらいい。」 ここまで打って返して、よく頑張った自分!と自分を誉めた。こんな文面打ったことがない。こんな打った後に顔がもげるほど恥ずかしくなるような言葉打ったことがない。じたばたとベットの上を這いまわっていると今度は電話の着信がなった。もしもし、と出れば鼓膜を震わせた低い声。こうして跡部くんと電話する機会が自分におとずれるなんて、改めてすごいことだ。これが学校に知れ渡ったら私は確実に呪いの的となるだろう。想像しただけで恐ろしい。そんな私の想像を打ち壊すように跡部くんは淡々と言葉をつづけた。声がこわばっているように聞こえるのは、どうしてだろうか。 「起きられるのか。6時には出るぜ?」 「それは大丈夫なんだけど、その。」 「あ?なんだ?」 「いいのかなって。」 「……6時に公園、わかるか?あそこに来い。」 否定をされなかったということは肯定でいいのだろうか。明らかにはあ、というような溜息をこぼされたけれど、そこは置いておいて。嬉しくて、了解、と一言こぼすだけで胸が痛かった。もし、跡部くんが向日くんを巻き込んでまで罰ゲームを続行しているのだとしても、その時ばかりは一度でもこのような機会が訪れたことを幸運に思わずにはいられなかった。 ![]() いくら季節が春だからといって、早朝になると寒さはいっきに強くなる。毎日のことで慣れている跡部ではあるが、今日は一段と寒さが強かった。けれど、今の自分には頭を現実にもってこさせるにはちょうどよかった。昨日いきなり届いたメール。幾度こちらから送ろうとも見向きもされなかったソレから初めて返ってきた。その原因となったのが向日であることに若干の苦々しさを抱えながらも、心はじんわりと満たされた感でいっぱいである。6時30分まであと5分いうところで見た目から真面目そうなはすでに待ち合わせ場所に来ていた。どちらともなく声をかけるとぴくん、と肩が震えるのが目に見えて分かる。この間のことがあるからか、気まずい空気が流れるのは承知のうえだったがそれでもこうして自ら誘ってくれた彼女には嬉しさを隠せないのだ。よお、と声を掛ければ小さくおはよう、と返してくる。そのやり取り自体も初めてのことで嬉しさが増す。 「すぐ歩くぜ?」 「あ、うん。いきなりゴメンね。……ありがとう。」 彼女の視線が跡部を過ぎ去り、腰の位置に行儀よく座っているゴールデンレトリバーを見てやわらかく笑った。つられて自分も視線を向けると、日常ではすでに走っている時間帯のせいか、愛犬がわふん!と物足りなさそうに鳴いているところだった。 体型からしてわかるようにはあまり運動が得意ではない。いつもなら犬を連れてジョギングすることをトレーニングの一つとして行っているが、自分のスピードにまさか彼女がついてこれるはずは重々承知だった。だからこそ、ほとんど犬の散歩の名に正しく歩いているのだがそれでも彼女はついてくるのがやっとのようだ。はっはっ、と犬の息だけが静かな朝の風景に溶け込む。 「跡部くん……歩くの速い。」 ぱしっと服の裾をつかまれた。思わず足が止まる。 「…これくらいで音をあげてんじゃねぇよ。ホント、運動不足だな、お前。」 「ごめん。でも、跡部くんと私には足の長さっていうコンパスの違いがあるから、当然だと思うの。」 「…じゃあ手綱持って自分のペースで歩けばいい。俺が握ると速くなるから。」 ひょいとそれを渡したら、賢い犬は彼女のペースを理解したのか格段にゆっくりとしたペースで歩きはじめた。今度はこちらが運動不足になりそうだと思いながらも、それでもちょっと楽そうに息を吐いた彼女を見ては仕方ないか、と思う。呼吸が整ってきたのか、こちらにちらりと視線を寄せて彼女は口を開いた。「名前なんていうの?」「跡部くんが毎朝散歩させてるの?」「何歳?」などと当たり障りのない質問が飛び交う。それにもちろん跡部は「ガブリエルだ。」「ああ、ジョギングのついでに。」「そろそろ2歳になる。」と一言ずつ答えながら足を進める。彼女とこうして会話しあうこと滅多になかった。それに2人キリでこんなに長くいることもなかった。さらに、何が起こったのか知らないが数日前から彼女は確実に変化を遂げている。ノータッチだった眉毛を綺麗に切りそろえ、髪の毛もロングにのばしていた髪の毛を少し空いた軽い感じに切りそろえ、さらにトレードマークといっていいメガネがコンタクトに変わっている。その変化はどこからもたらされたのか聞きたいとは思わなかったが、明らかに彼女が変わろうとしているのは確かであった。ポツリポツリ、と会話が進んでいきはじめるとあまりにもその散歩の時間は短かった。あっという間に元にいた公園へと戻ってきた。彼女はすぐに打ち解けたガブリエルの頭を数回撫でると名残惜しそうに彼を見つめる。本当はその視線を自分に向けてほしいのに、と思ったその矢先くいと彼女の視線が彼の元へと上がった。 「ねえ、確かめておきたいことがあるんだけど。」 「なんだ?」 「跡部くんは私のことが好きだというのは嘘か否かは置いておいて、それだと仮定して聞くけど、………私のどこが好き、なの?私なんか好きになる人って相当珍しいよ?」 跡部くんデブ専疑惑たっちゃうよ、なんて苦笑いしながらでもどこか悲しそうにつぶやいた彼女に少しイラっとした。跡部は体型なんか元々気にしない…というには語弊があるが、好きという感情は少なくとも外見だけで生まれてくる存在ではないと思っている。あくまで中身と外見が融合して初めてそれに値するものだ。他の男子どもは知らないが少なくとも自分はそうである。だからこそ、という女を好いているという感情が生まれたのだ。もし、自分が彼女の外見しか知らなかったのなら別段関心なんて持たなかったかもしれない。ただの一クラスメイト、少し硬めな真面目な女、くらいだろう。けれど跡部は垣間見てしまった。 「一昨年、だな。お前が早朝に話しているのを見た。普段はクラスでもおとなしい奴らが声をあげて笑っていたらそれは気になるもんだろ。中身は大したことない話だった。でも、クラス内では滅多に笑わないお前が口をあけて笑っていた。その笑顔を単純にかわいいと思った。」 「…信じがたい。」 「外見にコンプレックスを抱いているのはわかる。健康のことを考えると痩せた方がいいとは思うが別に俺はそのままの体型でも構わない。興味をもってからどんどんお前のことを気になり始めて、気がついたら好きになっていた。それは理由にはならないか?」 「わからない。少なくとも私はこんな体型の彼氏とか嫌だし、中身だってよく知らないでしょ。」 「…信じられないなら、最初から聞くんじゃねぇ。」 イラ、としたような口ぶりで言葉を吐きだした。これだけ、想いを伝えているにも関わらず、信じない。伝えるタイミングを誤ったか、とこのときばかりは思った。しかしながら、今後の自分たちを待ち構えている受験のことを考えると、伝えずじまいで終わってしまいそうな気がした。ならばできるだけ負担の少ないこの時期に伝えておこう、と。その気持ちが彼女に伝わるはずもなかったが。短気なのかなんなのか、彼女は跡部の発言に対して明らかに顔をしかめた。ああ、またそんなに眉間にしわを寄せて。一重なのだから睨んだら目つきが余計怖くなってしまうというのに。先ほど口にした情景を思い浮かべて見比べると運電の差があるその表情に溜息を吐いた。 「笑った方がかわいいんだから、んな顔すんな。」 「は?……そんな恥ずかしいこと真顔でいわないで!」 途端にかあああとトマトのように真っ赤に染めた頬に、容姿を誉められることへの不慣れさがうかがえた。素直にそう思うにもかかわらず、散々否定するのは彼女が生きてきた過去の経験からだろうか。血が上っているのを隠そうと手で頬を覆い別の方向へ顔を向けているのもおもしろい。そのまま、ふくよかな頬に指を寄せた。ふにふにとした独特の感触は今までのどの感触よりも柔らかい。 「……ガブリエル。」 そのまま腕を引いて抱きしめたい、と思ったところでまとわりつく愛犬。本来の時間ならすでに朝食を与えている時間帯だからだろうか、早く帰りたいと足元をうろうろしはじめた。弾かれたようには跡部から距離を取り、自分がどれだけ彼女の元へ近づいていたか改めて思い返した。そろそろ帰るか、と彼女へと視線を向ければまだ耳たぶをほんのりピンクに染めた彼女と目が合った。 「明日も、来るか?」 気がついたら自分からそう問いかけていた。 *091009 跡部の心境はもうほとんどべたぼれといってもいい。 |