ある夜、不破は縁側に腰をおろしぼんやりと星を見上げている鉢屋を風呂の帰りに見つけた。普段あまり考え事をしている姿を晒さない彼なので、不破は不思議に思って少しばかり声を掛けるのを戸惑った。こういう時の鉢屋は長年同じクラスで双忍と一部で呼ばれるほど仲の良い不破でも立ち入れない空気を纏っている。どうしようか、と彼の迷い癖が始まった頃にくるりと彼は振り返りちょいちょいと不破を片手で呼んだ。

「雷蔵、ちょっと聞いてくれるか」

 彼が悩み相談とは珍しい。少しばかり真剣な表情をしているのもそれに拍車がかかる。もちろん、と不破は頷いて、鉢屋の隣によいしょと腰を下ろした。

「くのたまのを知っている?」
「え、あ、えーと、多分」

 頼りない言葉に、鉢屋はこんな顔とぱっと一人の女の子に顔だけ変装する。頭の中で思い描いていた人物と一致したので、不破は、ああうんわかった、と一つ頷いた。比較的、柔らかな雰囲気からかくのたまと対立することなく穏やかな関係を保っている不破にはくのたまの知り合いは多い方だ。しかし、鉢屋の口から出たという女の子とはあまり面識がない。ぼんやりと顔が浮かんでくるくらいで、あまり話したこともない子だった。その彼女がいったい、と不思議に思っていると彼は苦々しそうに、ぽつりとつぶやいた。

「あいつさ、私が雷蔵に化けてるといつも見破るんだ」

 鉢屋によると、彼女が不破と鉢屋を間違えたことは一度もないのだという。彼は、稀に自分に都合が悪くなった時、不破の顔を使ってその難を逃れようとする。そうした出来事は、もはや彼が不破に変装し始めたころからのお約束で、いくら言っても聞かなかった。つまり、学園の教師―所謂プロの忍者―に対しても、彼の変装は認められており、誤魔化せることは多々あるのだ。それなのに、何故、同学年のくのいちにあっさりと見分けられてしまうのか。それが彼にとってとても屈辱的なのであろう。それも二人揃っている時ならまだしも鉢屋一人でいるときにあっさりと変装だとばらされるらしい。

「雷蔵とはそんなに接点という接点はないんだろう?」
「うん……あんまり話したこともないし」
「なら、何故、あいつは私の変装をいとも簡単に見破るのだと思う?」
「うーん、僕と三郎の何か決定的な違いを見つけた、とか」

 それしかないだろう、と不破は自分でいいながら頷いた。それが先輩でもない、ましてや近くにいる存在でもない女の子に悟られるとは思いもしなかったが、逆にそういう客観的なところに落とし穴があるのかもしれない。変装の腕をあげたいと切に思っている彼にとってこれは飛躍の一歩となるのだろう、などと、軽く考えていたらとんだとばっちりが来た。鉢屋はそのあと続けざまに、不破に一つの頼みごとをした。それは、自分の代わりににどうして変装がわかるのか、尋ねてほしいということだった。自分で頼みに行くのは癪だと、彼は言う。そして更に鉢屋に成りすまして尋ねてほしい、とのことだった。何故かといえば、彼女が鉢屋の変装を見破るのはいつも鉢屋が不破に成りすましている時だけ。では、不破が鉢屋に成りすました場合はどうなのだろう、と気になるようだ。何もそこまでしなくとも、と不破は思ったが、彼が自分に何か頼みごとをすることは珍しい。なにより人のいい不破は口の達者な鉢屋に言い含められてしまった。





 そして、今現在。不破はと名乗る女の子を目の前にして、必死に鉢屋に成りきって話しかけていた。彼女は不破の記憶の彼方にあったものよりも、随分と背が小さくて、表情の少ない子であった。じっと不破を見つめて、あまり自分からしゃべろうとしない。沈黙が辺りを包むが、しゃべりすぎると普段の鉢屋と彼女の会話を自分は間接的に聞かされてしか知らないのでぼろがでてしまうだろうと、自然と不破も口が少なくなってしまう。ばれてるんじゃないのかなと内心はらはらしながら、本題を話し始めた。

「それで、さ。なんで私の変装がわかるわけ」

 彼女はそれを聞かれると思っていたのだろうか、少しだけ眉を上げて、言いたくなさそうに顔をしかめた。

「私も雷蔵の変装には一番自信があるからさ。中途半端なままじゃいたくない。だからこうして言いたくもない相手に頼みに来てるんだけど」

 自分が鉢屋だと思えば、割ときつい言葉もさらさらと言えてしまう不破であった。

「言わなくても、わかってるもんだと思ってた」
「どういう意味だ」
「私は、鉢屋の変装がわかるわけじゃなくて、不破が不破であるということがわかるだけだよ。仮に鉢屋が久々知に変装したとすれば、私は見事にそれに騙される」
「雷蔵の時だけ?」
「そう。まあ勘みたいなもんだから具体的に何処が違うなんて聞かれても答えられない。……あ、でも、今日は変。まるで本当の不破みたい」

 先ほどからくりくりとした目を逸らすことなくじっとこちらに向けていたのは、そのためだったようだ。私の調子が悪いのかな、と零す彼女にこれは適うはずもない、と不破は小さくため息をついた。幸いなことに、不破がこうして鉢屋の振りをして騙そうなんてことを考えもしていないようでそこには不破も安心した。日ごろの行動が大事なんだろうなあ、としみじみと思い返す。しかし、やはり彼女の答えには不破も納得できないところが合った。なにより、勘、というなんとも心もとない回答に違和感を感じたのだった。

「じゃあ、質問を変えるけどいつから私たちの見分けがついていた?雷蔵との接点なんてほとんどないと私は聞いていたけど」
「そこまで言わなきゃだめなの」
「この際だから全て参考にさせてもらう」

 彼女は今度こそはっきりと嫌そうな表情と拒否を口にした。絶対教えない、と口を酸っぱくさせて繰り返す。しかし、不破自身も何故彼女がそう頑なに拒むのか、そもそもどうして彼女はそんなに自分のことが勘でわかってしまうのか、気になりはじめていた。無言の攻防が続く。しばらくそんなにらみ合いが続いた後に、観念したかのように彼女はふうと息を吐いた。

「三年の時から」

 ぽつり、と彼女は小さい声で呟いた。二年も前から、という事実にまた不破は驚く。

「接点がない、なんてそれは多分、不破が気がついていないだけ。……私にとってはいっぱいあったよ。ほんの些細なことかもしれないけど」
「それは、どういう?」

 全く身に覚えがない不破は素でそう聞き返した。は、それくらいわかるでしょう、不破といつも一緒にいるのは貴方なんだから、と呆れた目で訴えてくる。

「落とした頭巾を探してくれたり、図書室の席を譲ってくれたり、本を取ってくれたり。そんな些細な優しさを日常から行ってるから、私のなんか全く記憶にないんでしょうね」

 悲しそうな顔をしたに不破は咄嗟にごめんと口にしそうになった。ここで謝っては身も蓋もない。けれど、そんな表情をさせているのが自分だということに酷く動揺してしまう。それは遠まわしに優しいんだよね、と言われているようではあったけれど、同時に優しいばかりで周りを全く見ていないのでしょう、と訴えられているような言葉でもあった。

「まあ、そんなことを鉢屋にいっても仕方がないんだけど。……少しは参考になった?」
「あ、ああ。少しは」
「そっか。じゃあ、今度からは自分でくるように鉢屋に伝えて」
「えっ」

 ひくり、と不破の顔が引き攣った。彼女は全部最初から気がついていたのだ。その上であのような不思議そうな演技をし、不破がなんの目的で近づいてきたのか試そうとしていた。それを瞬時に察し驚きを隠せない顔をした自分に、初めて彼女はにっこりとした笑顔を見せた。

「あとでボコボコに殴られても恨みごと言わないでね、っていうのも付け足しておく。よろしくね」

 軽くひらひらと手を振って彼女は踵を返した。その背景にはとてつもない怒り、が込められている。先ほどの辛辣な言葉も、心からの本心だったのであろう。鉢屋に向けたものよりも何倍も小さかったけれど、それは気がつかない自分への怒りの表れだったのだ。この後の鉢屋の姿を想像して一瞬不破も青ざめるが、はて、と気がつく。

(そういえば、結局なぜ僕の変装だけわかるのか、具体的なこと聞けなかったなあ)

 それは勘の様なものだと言っていたが、やはり腑に落ちない。一度不思議に思うと考え込むのが癖になっている不破は暫くうんうんと頭を悩ませていた。すると、ふわ、と新しい気配が傍に降り立つ。尾浜の変装をした鉢屋だった。

「あれ、お前、無事だったのか」
「まあね。あいつは私と雷蔵を見分けられるだけで、他の奴に変装してても気がつかないから平気なんだ」
「……ちょっと待って三郎。それを知っていたことは、さっきまで盗み聞きしてたんだな」

 もちろん、と鉢屋は笑う。そして、やはり面白いものが見れた、と彼は満足気に言ったのだった。全くこれといってめぼしい手掛かりも掴めなかったというのに、面白いものとはいったいなんだ、と不破は首を傾げた。

「さっきの言葉をもう一度よく思いだしてみろ。絶対貴方のことは間違えません、それくらい貴方のことが好きなんです、って言ってるようなものじゃないか。……雷蔵、まさか気がつかなかったのか」

 どうしてただの勘、と彼女が濁したのか。その言葉の裏に隠されているのは、不破にとって思ってもみない真実だった。鉢屋の言葉を脳内で繰り返しているのか無言のまま顔が赤くなっていく不破を見て、鉢屋はにやりと笑った。

「さあて、雷蔵。どうする?」





素直になんかなれない


*100913   ( title by.cathy