今日は何日だ、という軽い問いかけに私はえっと、と言葉を詰まらせた。10月に入ってまだ間もない、衣替えをしたばかりのこの時期。何か特別な日があっただろうか、と問題を問いかけてきたジローを見やりながら首を傾げる。じゃあヒントをあげるね、とにこにこしながら彼はまた口を開いた。

「明日は何の日だ」

 ますます訳がわからない。今日がなんの日か知らないと言うのに、明日がなんの日かわかるわけもなく。普通なんの日かと問われれば大抵はその人の誕生日だったり、記念日だったりする。けれど、目の前のジローの誕生日は彼に似合った子どもの日、5月5日でありとっくにその時期を外れている。だとしたら二人の真ん中バースデーとか。いやいやそのようなことをし合う仲では決してない。深い迷宮に陥ってしまった。その様子に、ひくりと引き攣った表情を浮かべたのは同じクラスで昔から仲のいい友人である宍戸だった。

、お前それマジで言ってんのか」
「うん。なに、宍戸はわかるの」
「わかる。んで、一番わかってないといけないのはお前だと言うことも俺はわかっている」
「え……なんだろう」

 宍戸が知っているなら一般的なものなのだろうか、と私は手帳を取り出してパラパラと捲った。が、そこには当然何も書かれていない。天使のように微笑んでいるジロー向って降参です、と両手をあげて訴えれば、彼はさらっととんでもないことを口にした。

「明日、10月4日はね、跡部の誕生日だよ」

 跡部の、と小さく彼の言葉を追う様に呟いた。うん、とジローは大きく首を縦に振る。もう一度私は脳内で彼が口にしたことを反復した。跡部の誕生日が、明日。跡部景吾の誕生日が、明日……だって。がばり、とそれまでふにゃんとリラックスしていた体が跳ね起きて、全身に力が入った。そして、隣で頬杖をついてこちらの様子をうかがっていた宍戸に向き直る。

「どうしよう」
「そりゃこっちの台詞だ。阿呆」

 ばしん、と軽く頭をはたかれた。叩かれたおでこ付近を手で押さえながらも、さすがに阿呆発言にも反発することはできず、しゅんと項垂れる。何故、ここまで、私が動揺しなければならないのか。それは私が跡部の彼女だからである。彼女、といっても付き合い始めて半年程度で、まだお互いのことをわかってるようでわかっていない微妙な期間である。しかし、初めての誕生日にいくらなんでも知りませんでしたはないだろう、と何も準備していない今の状況に泣きたくなった。

「なんでそれとなく跡部に聞かなかったんだ」
「いやすっかり忘れてたっていうか。付き合い始めた当時は喜びでそれどころではなくて」
「……ああ、うん、のろけはいいから」

 すっぱりと続きそうになった内容を容赦なく宍戸に切られて、現実に引き戻される。そんな過去のことをぐだぐだ言っている暇は最早なかった。

「でも、当日じゃなかっただけマシだろ。今日、何かプレゼント買いにいけばいいんじゃね」
「そうだよね。あー……でも、そうなると買うっていう選択肢なのか。果たして私のお小遣いの範囲で跡部が誕生日に欲しそうなものが買えると思いますか宍戸くん」
「知らん」

 一蹴りされた。ただでさえ、9月、10月は友達の誕生日が多くて出費がかさむ時期なのだ。残るお金もあと僅か。私の周りには秋生まれの友人が多いので、毎年嘆いていることなのだが。ちなみに目の前の男も9月生まれで、この間、照り焼きバーガーを奢ったばっかりである。

「じゃあ、宍戸やジローくんは跡部に毎年何あげてるの」
「テニスボール」
「俺は、母ちゃんが作ってくれるクッキー!」
「……ああ、参考にもならない」

 手作りケーキとかクッキーなどは案外よさそうに思えるが、私は料理が大の苦手なのだ。挑戦したところで失敗するのが目に見えている。あれだけ食にうるさそうな跡部だし、お世辞でも美味しいとか口にしないであろう。好きな人に貶されるのは心抉られるものがあるとわかりきっているのでその選択肢ははなからなしだ。テニス関連のものは恐らくテニス部が揃って用意するだろう。大して詳しくもない私が出る幕ではない。……とりあえず、放課後に買いものに出かけなければ。

 結局、あれでもないこれでもないと様々なものを物色したけれど決定的なものは何一つでてこなかった。どういうブランドを彼が好んで身につけているかは知っていたけれど、バイトもしていない高校生に手が出せるものではない。それに、大抵の物は彼が自分で持っている。既に持っている物を渡されても困るだけだろう。そうぐだぐだと考えている内に、とっぷり日は暮れていて、買うまでに至らなかった。何も手渡すものがないのは嫌なので最後の足掻きにクッキーの材料を買って帰り、レシピを懸命に見ながら作ったけれど、出来上がったのは生焼けのバタークッキーにチョコレートが焦げて炭臭いチョコチップクッキーだった。せめて料理くらいできるように日ごろから努力しておくんだった、と後悔しても後の祭りである。

 そして当日。顔を合わせるのがとても気まずかったが、彼は学校で最ももてるといってもいい色男である。ファンが彼の誕生日を知らないはずがないし、プレゼントを用意していないはずがない。その攻撃から非難するためか、廊下をうろうろ歩いても彼に出くわすことは一度もなかった。元々、教室も遠く離れているので出会わない確率はより高くなる。このまま会わずに一日が終わればいいなとも思っていたが、お昼にメールが届いた。跡部からだ。放課後は一緒に帰ろう、という珍しい彼からの誘い。もちろん、断れるわけがない。私はゆっくり了解という返事を打った。その放課後、部活をしていない私は図書室でゆっくり時間を潰していた。大体、跡部と一緒に帰るとなるとこうなってしまう。が、私は図書室で待つことが嫌いではなかった。本を読みながら時間を潰すのは休日でもよくする行為であるし、その日の宿題を終えてしまうにもこの場所はとても環境がいい。ただ、今日ばかりは、手にした本の内容も頭の中に入ってこなかった。



 名前を呼ばれて、顔をあげる。部活を終えて少し額に汗がにじんだままの跡部が図書室のドア近くに立っていた。それだけで、随分急いで身支度を整えてこちらまでやってきてくれたんだということがわかる。口にはしないが、意外と優しいところが多いのだ。跡部は、帰るぞ、と視線だけでそう告げた。私は急いで帰り支度をして廊下に飛び出した。いつもの沈黙が今日は妙に痛々しい。しかし、開口一番に誕生日について言われるかと思ったが、そのような様子はなかった。若干静かではあるが、歩幅もゆっくりと私のペースに合わせてくれているし、怒っているような感情は酌みとられなかった。部活後で若干疲れているようではあるが、それは通常通りである。思いの外、彼が怒りの感情をあらわにしていなかったため少しほっとして、恐る恐る話を切り出した。

「あのさ、跡部」
「……ん、なんだ?」
「久し振りだね、こうやって一緒に帰るの」
「まあ、体育祭がどうのこうので最近忙しかったからな」
「生徒会、おつかれさま」
「ああ」

 さらっと会話が終わった。違う、その話題ではない。心の中で突っ込みを入れながら、ふるふると顔を横に数度振って、きちんと言う覚悟を決める。

「じゃなくて。跡部、今日、誕生日なんだよね?」

 プレゼントは用意できなかったんだけど、とごにょごにょと付け足した。跡部は私の言葉にはっと足を止めて、驚いたような表情をした。そして、段々とその綺麗な顔が複雑そうな形相に変わっていく。心なしか眉間のしわも数本増えたように見えた。

「知ってたんなら、なんでメール寄こさなかったんだ。こんな遅くなるまで黙ってやがって」
「昨日ジローくんから聞いたばっかりで、プレゼント用意できなかったから、申し訳なくて。……ごめんなさい!」

 ぴしっと一礼して謝罪を入れる。まだ、喧嘩らしい喧嘩をしたことがあるわけではないが、身近にいる二人のおかげで跡部を怒らせるとどれだけ怖いかということは知っていた。はあ、と呆れたような声が上から聞こえる。

「俺も、お前に今日が誕生日だと言った記憶がねぇから、元々期待してなかった」
「あ、そうですか……」

 御尤もな発言に私は軽くうなだれた。知らないままでよかったのか。さすが記憶力の高い男性だと思いながらも、やっぱり、きちんと事前に調べて祝いたかったというのは本音だ。その内容をぽつぽつと跡部に告げると、彼は、じゃあ、とほんの数秒間が空いた後に小さく呟いた。

「明日、の家に行っても?」

 思いがけない一言に、今度は私が驚いた。うん、と間髪を入れずに頷く。不思議そうな顔をしている私を見て、跡部は苦笑いをした。わかってねぇな、とその表情が物語っている。

「俺を親に紹介してもいいかって言ってんだよ」
「えっ」
「お前まだ俺のことを言ってないんだろ。そのままじゃ、泊まりがけの旅行にも行けないし。ご両親に認めてもらった方が何かと都合がいいしな」

 心の底から吃驚した。まさか、そのようなことを言われるなんて思ってもみなかった。普通、結婚するわけでもないというのに彼女の両親に会うなんて、できることなら避けておきたいというのが本音ではなかろうか。けれど、まだまだ学生である私たちの身分で、旅行に行くときに、誰と行くの、何処に行くのなんて心配されるのは当たり前。その時に女友達の名前を適当に挙げて誤魔化すのはとても簡単だけれど、それをしたくないという跡部はこの付き合いを本気で考えてくれているのだと察することができる。

「うん、いいよ。私の家だけじゃなくて、跡部の家にも今度行かせてね」
「ああ、都合を付けておく」

 跡部の誕生日だというのに私が喜んでしまう結果となるとは。これでいいのだろうか、と思うけれど、ちらりと伺った彼の横顔も機嫌が良さそうだったので安心した。

「誕生日おめでとう、跡部」

 言い忘れた言葉を笑顔で告げる。ありがとう、といつものあの笑みを浮かべた彼を見て、来年こそはプレゼントをちゃんと用意して祝おうと誓う。なにより、来年も彼の誕生日を祝える位置にいたらいいなと願わずにはいられなかった。





きみに捧ぐ


*101004   ( 主催企画「デュランタ」へ提出。跡部誕企画でした!参加して下さった皆様、どうもありがとうございました。跡部景吾へ誕生日おめでとうの気持ちを込めて! / title by.Shirley Heights