夕立が上がり、むんむんとした熱気が少しおさまった夏休みの日暮れ頃。晩御飯にはまだ早いが、少し小腹が空いたこの時間帯に買い物に出ていた。目的はもちろん食料調達。少ひんやりとした空気も流れていることだし、アイスなんていいんじゃないかな、と沈みかけている太陽の緩やかな日差しを浴びながら自転車をこいでいた。私の家は比較的に学校から近く、夏休みでも家の付近を出歩けば時間帯に寄っては制服を着た生徒が沢山その辺りを歩いている。だから、特に部活に所属している友達とは夏休みであってもばったり遭遇することが多々あり、夏休み明けに「久し振りだね」と会話をすることが少ないのだ。私自身は部活に入っておらず、自転車でその辺りを徘徊することが趣味の一つなので、余計に。今日もまた、部活帰りだと思われる男子軍に遭遇した。小麦色に焼けた肌が健康的である。見知った顔はいなかったので恐らく下級生だろう、と校門の前をすいすいと一瞥しただけで通り過ぎようとした時、ちらっとテニス部の部室が目に入った。 我が校のテニス部は、運動部の中だと最も知名度が高い。理由をあげるとすれば、全国への出場回数が多く、実力も高いということが一つ存在するが、それと同時にメンバーも個性があるものが多くよく学校内の話題にあがるのだった。特にレギュラーといって沢山存在する部員の中でも選ばれたメンバーは顔で選んだのではないかというくらいかっこいい。そんな彼らは先日まで全国大会に特別枠で出場していたはずだ。何故私がそれを知っているかというと、数日間、普段行われているはずの練習風景がそこになかったからである。結果がどのようなものだったのか、それは夏休みにもかかわらずまるで波紋が広がるかのように瞬く間に生徒たちの間に広がっていく。当然、私もその結果を聞いていた。連日の試合で休息日が与えられているのであろう、今日も今日とてテニスコートはとても静かだった。 学校から自転車で数分のところにお目当てのコンビニがある。本当なら私の好きなメーカーで安くも高くもないお気に入りのアイスを食べるつもりだったのだけれど、私は比較的リーズナブルなソーダーアイスと、アイスの王様といえばこれという代名詞までつくダッツを手にとってレジに並んだ。お小遣いギリギリの範囲内である。小さなレジ袋にそれをいれてもらうと、私は今度は学校の校門を通り過ぎずに無遠慮に中まで侵入した。制服を着ていないことにいささか不安を覚えたが幸い咎められることはなく、テニスコートの傍に自転車をとめるとわが家のように堂々と足を踏み入れた。思った通りの人物が中に佇んでいたが、思いのほかその外見が変わっていたのでばさり、と袋を落としてしまった。 「跡部」 突然声をかけたことによって、ぴくりと彼の肩が震えた。ゆっくりと振り返った彼の表情はいつも通りだった。余裕の伺える、普段通りの顔つきだ。 「か。……こんなところでなにしてやがる」 「たまたま人影が見えたから、多分いるんだろうなって思って……じゃ、なくて!そうじゃなくて!どうしたの、その髪の毛」 「開口一番にそれ聞くか」 呆れたように眉間に皺を寄せて溜息をついた跡部のことなんて私は気にしていられなかった。もちろん、地面にぐしゃりと落ちてしまったアイスのことも頭から失念してしまっている。この間、少なくとも終業式の間までは綺麗に整えられ、キューティクルも完ぺきだった跡部のほんのり茶色がかった髪の毛が短くなっていた。短く、といっても五厘などというレベルではなくベッカムみたいなワイルドな髪型だった。それまでの彼の雰囲気とはまるで違う様子に、むしろ絶句としか言いようがない。あまりにも放心状態を保っていたためか、彼はベンチから腰をあげて、すたすたと私の目の前まで歩いてきた。表情は呆れかえっていたが、少しもその顔からは恥辱だとか後悔そういう部類の感情は伝わってこなかった。 「ただのイメチェンだっつの」 あっさりとそう告げた。そのまま、私の目の前のビニール袋を拾い上げて手渡される。私は差し出されるままにそれを受け取るが、目線は髪型に釘づけだった。 「それとも似合わねえか」 すっかり短くなってしまった髪を跡部はそっと触った。 「いや、似合わないことはないよ。落ち着いてみたら、普通にかっこいい」 違和感は多大にあるけれど、という言葉は敢えて飲みこんでおく。「だろう?」、と誉めたことを更に上乗せするように相槌を打ってから、ぎらりとした視線を投げかけてきた。これまでの勢いはどうしたのか、うっと言葉に詰まる。なにしろ普段から部外者立ち入り禁止で有名なテニスコートだ。言われることは分かっている。 「で、お前なんでここいるんだ」 「そ、それは、ですね」 「あん?」 「……跡部がテニスコートにいるのが見えたから、アイスの差し入れしに来たの!はい、これ」 「……」 跡部は訝しげにアイスと私を交互に眺めていた。カップの表面には小さな水滴がいくつもついている。つつ、と流れるそれに視線を落としながら「早く」と急かすように、ぐい、と無理やり跡部に手渡した。 「お疲れさま」 言いたかった言葉を一方的に告げた。ぴくり、と眉を彼は動かす。より眉間に濃い皺が寄った。 「その台詞は、実際の試合を見届けた奴にしか言ってほしくない」 「……見に行ったよ、私」 「は?」と彼は不思議そうな顔をした。嘘をつくな、と目が言っている。 「じゃあ、何故、俺の髪のことを知らなかった。これは試合の直後にこうなったんだ」 「コールが終わったあと、すぐに帰ったから。……見てられなかった」 「なんだと?」 「試合は最後まで見たよ。跡部、すごくかっこよかったし、あんな跡部を見たのは初めてで吃驚したくらい。……だからでしょうか、個人的なことなんだけど、涙が止まんなくて。顔見られる前に帰ったわけ」 「……情けない奴」 さっと跡部は立ち上がった。氷帝カラーの水色のジャージが仄かに視界の隅を掠める。ぼろぼろと頬を濡らしていた。細長い指がやんわりとそれを拭う。触れた手の先は熱を帯びていて暖かかった。私はここに何をしに来たのだろう。コンビニにオヤツを買いに行くという目的で外に出たはずなのに、いつの間にか跡部の前に颯爽と躍り出て勝手にアイスを渡して、要らぬ言葉まではいて、その上涙こぼして。……一気に、恥ずかしくなり、ごしごしと乱暴に腕で涙をぬぐった。真っ赤になった目はそのままだが、零れ出た水はこれでなんとか表面から消える。跡部は無言で私の腕をとり、踵を返す。 「部室、開けてやるから来い。コートは飲食禁止だ」 「あ、そっか、ごめん。……あのさ、跡部」 「なんだ」 「その髪型、似合ってる。超かっこいい」 「わかりきったこと言うな、阿呆」 くい、と右手で自らも跡部の手を掴む。すっかり日が落ちた氷帝のテニスコートに、涙がぽつりと零れた。私は跡部がどのようにテニスをしているか、今回の試合で初めて知った。いつもはちらりと横目で見て通り過ぎるくらいの場所だったここにはあの試合を行うまでの軌跡がある。だから、彼は今日、ここに来ていたのではないだろうか。今まで見てこなかった彼の姿を想像し、そして、できることならあの日のような後姿をもう二度と見たくはないとそう思い、そのまま跡部の後姿を追った。 もう君は見ていなかった *100830 ( 大好きで大好きで大好きで仕方がない中学三年生の跡部景吾。 ) |