焼け付くような太陽が地面を照らす。アスファルトでできた路地は熱を吸収して、熱気がムンムンと充満し余計に温度を上げている。校内はあまりにも静かだった。窓を開けると爽やかな風と温まった空気が同時に入り込んでくる。そして、運動部の掛け声とかバットとボールが当たった音だとかが廊下にも余韻を残して響いていた。夏休みだというのに、制服を着ている自分がなんだかおかしい。部活にも参加しておらず、補習にも引っかかっていなかった私にとっては、夏休みというのはクーラーの利いた部屋でTVという学生とは程遠い生活だと認識していた。登校日だとかいってわざわざ午前中だけ学校に行く日なんて、無ければいいと思っていたくらいだ。 さわ、と通り抜ける風。伸びた髪の毛が肩より上に持ち上がった。職員室にはクーラーが装備されているけど、私はそこから抜け出してきた。ねっとりとした湿気と熱気が気持ち悪いくらい肌に染み付くけれど、クーラーの風に当たりすぎると逆に気持ち悪くなってしまうから、今はこのじりじりとした感覚がちょうどよかった。それでも涼しさは恋しいので目の前の廊下の窓を開けてこうして風を待っていたのだ。ここが4階とかだったらもっと強くて心地よい風が入ってくるのだろうけれど、職員室は1階だというのは誰にも変えられない事実なので仕方が無い。 「そこにいるのはか。」 水とコンクリートがぶつかり合う音が聞こえた。その先にいたのは汗だくになった跡部だった。同じクラスではあるけれど、あまり話したことがあるというわけではない。かろうじてお互いに顔と名前が一致するという関係だった。私は突然名前を呼ばれたことにびっくりして、なんでよりによって跡部なんだろうと思ったけれど、そういえば彼はテニス部だったんだと思い返した。夏休みだからといって彼らに休みがあるわけではない。学校に行けば会う可能性はそこらへんをぶらぶらふらついているよりもかなり高いだろう。うん、とかなんとか適当な返事をするとじゃーと頭を水でがしがしと濡らしたあとタオルを首にぶら下げてこちらへやってきた。 「お前白いな。」 「あ、うん。どこにも出かけてないから。…跡部くんは焼けたね。」 「このクソ暑い中テニスやってるからな。」 「そういや、部活はいいの?」 「…休憩中。」 彼は窓際の段差に腰を下ろした。丁度そこが木陰になっていて、さわさわと木々が鳴る音が聞こえて気持ち良さそうだった。いきなりなんだこの距離は。今までこんなに近づいたこと、無かったのに。できれば近づきたくなかった。鋭いけど気迫の篭った瞳が私を見上げる。ふ、と跡部は笑った。 「お前顔が死んでる。」 「そんなに酷い顔してるかなあ、あんまり気分は良くないけど。」 「この世の終わりみたいな感じに見える。」 いきなり死んでるなんて物騒な言葉を投げかけられて私は眉を顰める。しかしながら、跡部の直接的な指摘はあながち外れていなかった。ぺちぺちと自分の顔を触ってみると、驚くほど体温が低いことがわかった。それなのに、背中は熱を帯びていて、つつと気味の悪い汗が流れている。その温度差が私の動揺を極端に、しかしながら正直に表現していた。きっと、ううん、確信を持って言える。私は恐ろしかった。跡部が私の近くにいることが。経験が無かったから緊張しているんだ、とかそういったレベルではなく、ぐるぐるとこみ上げてくる辛さが本能的にこれ以上近づいてはいけないと諭しているようだった。私はもともと彼に近づくつもりはなかった。近づいてきたのは向こうのほうだ。だから私は悪くない。休憩時間ならさっさと過ぎ去ってしまえばいい。そろそろ誰かが彼を探しにくればいい。そうしたら、彼はここからいなくなる。 「8月になったら、大会があんだよ。」 「うん?」 「見に来いよ。どうせ、暇なんだろ。」 黙りこんだ私の頬に一筋のしずくが流れた。冷たくて、唇を経由して、ぽつりと落ちる。それはゆっくりと煌きながら真下に座っていた彼の頭の上でぴしゃんと跳ねた。跡部が顔を上げる。視線が交差した。跡部の視線が突き刺さる。ちくり、と何もあたっていないというのに肌が痛んだ。インサイト、というのかどうかは忘れたが跡部の瞳、というか視線にはなにか特別なものがあるんだと誰かが言っていた。なんだか漫画みたいだったのでそれを本気にはしていなかったけれど、凍てつくような強さがく、と一本の氷柱のように込められていることだけは今、はっきりとわかった。心臓に針が突き刺さったかのように、じくんじくんと疼いた。それを遮るかのように別の声が響き渡る。 「おーい、あとべぇ!練習再開するってさー。」 「…わかった。」 カタン、と音を立てて跡部が立ち上がる。なにか話したそうな視線を寄せてきたけれど私は頑なに顔を上げようとはせず、それを拒否した。そのまま俯いていると足音が離れていくのが聞こえた。自分が願ったことというのに、どうしてだか、更に胸はちくちくと痛んだ。 「8月にはここにはいないから、なあ。」 そんなことは、無理に決まっているんだ。今日から私の名前は名簿から消されてしまう。誰にも言わないで、…うん、女友達にだって言わずに出て行こうとしていたというのに、私はもう少しで彼に告げてしまうところだった。良かった、芥川くんが彼の名前を呼んでくれて。私はもうここにはいられなくなるんだよ、だから、今日で最後なんだよ。なんて言葉が頭の中で繰り返し響いていた。口にしていたらもっと私の気持ちは軽くなっていただろうか。どちらにしても私がここにいられなくなるのは変わりない。また、跡部に逢えなくなることにも変わりはない。気紛れかもしれないけれど、最後の最後にああして期待を募らせるような言葉を残して欲しくはなかった。夏の陽炎に揺られてゆらゆらと定まらない彼の後姿をこっそりと見つめながら、今度こそ私は本物の涙を流した。 君の肌に焼かれた雨のにおいだ。 *080805 ( title by.ラインズマン ) |