私の人生が狂ってしまったのは、彼のせいだ。今ではそうやって零すことしかできない。どれほど彼のことを憎もうとも、完璧に嫌いになる事なんて到底無理な話だ。昔の自分だったら全く想像もしていなかっただろう。恐ろしいほど物事に興味を示さなかった自分が、これほど1人の人間にのめり込むなんて。ほう…、と消えていくような細っこいため息を吐きながら、私は窓の外を見つめた。この部屋からずっと真っ直ぐいったところにテニスコートがある。最上階なのであまり細かいところまでは見えやしないが、しかしながら、先ほどからずっと私の脳を捕らえて離さない彼の姿がそこにはあった。不思議なものだ。他の部員ことは全くわからないというのに、なぜだか今動いたのが彼だ、とはっきり自覚できてしまう。そんな自分にむしゃくしゃしながら、ぎゅ、とノートの切れ端を握り締めた。ガラリ、と教室の扉が開く。するとそこには見慣れた姿があった。

「会長……!」

 会長、と呼ばれた私の立場をこの学校で知らぬものはいないといってもいい。言っておくが、この学園の生徒会長は我らが跡部景吾さまだ。しかし、彼の名が有名になればなるほどこちらの名前も有名になる。「跡部景吾ファンクラブ会長」の名を知らぬものはいないだろう。公式的なものではありやしないが、その存在力は彼の人気からか絶大なものだ。私は、会長用に作った笑みで彼女を迎え入れた。

「あら、さん。どうかしまして。」
「いえ、あの。……ちょっと、揉め事が起きているみたいで。」
「それは大変。どちらかしら?」
「校舎裏です。新入生の子が囲まれているみたい、です。」
「…ありきたりですわね。」

 がたり、と重い腰を持ち上げた。私たちの仕事というのは、あまりの色男ぶりに学園どころか他校までも巻き込んでしまっている我が校のテニス部の方々、強いては跡部さまに有意義な学園生活を送っていただくこと。個人にもファンクラブというものが設立されているようであるが、それらを統括して纏めているのも私たちである。こういった揉め事、特に新入生の多いこの時期には学年が上がることで調子に乗る上級生たちが威嚇として残酷な自体を招くことが多い。主にそれのストッパーというところだろう、か。そして、また過度なファン行為を抑えるということも仕事の一環としてある。ああ…誤解のないように言っておくが、私たちはあくまで仲裁をする立場であり、制裁をすることは全く無い。恋、というのも一種の学園生活で必要なもの。嫉妬ややっかみといった感情は限りなく存在するだろうが、彼らの恋路の邪魔をするということも規則破りに値する。ファンクラブだからといって悪いイメージを抱かれるのは、全くもって不愉快だ。ふぁさり、と長い髪の毛を揺らしながら私はその場へと急いだ。

 家から近い小学校から有名私立への受験で外部入学した私には、あまりにも跡部景吾という存在は大きかった。それまでずっと物事には冷静で冷めた見解しかできなかったが、彼は別。ふと廊下で見かければまるで少女漫画のように胸が高鳴る。そんな乙女チックな趣味なんてなかったはずなのに、気が付けば私の目は彼の姿を追っていて、これをなんと呼ぶのか気が付いたのは随分あとだった。初めは1人の人間として尊敬していた。いやむしろ尊敬という敬意を込めた感情よりも独りよがりの強い憧れという言葉のほうが近かったかもしれない。偶然にも同じクラスに属していた彼は、何事もにもスマートでそつが無く、かといって一匹狼というわけでもなかった。面倒見がよくて時にはその常識からは外れてしまう態度で面白おかしく盛り上げてくれていた。もちろん、彼はそんなこと全く気が付いていなかったようだが。遠くから見つめていようと思い、周りに誘われるがまま入会したファンクラブ。いつの間にかその力は強大となり、また、年を重ねるにつれて魅力を増していく跡部の周りに必ずいる女の子たちの仲裁に必要不可欠なものとなってしまった。時の流れは本当に早く、一介の会員だった私が会長を務めるほどだ。しかしながら、会長を降りようとしている私の気持ちに気が付く会員たちはどれほどいるのだろうか。

「お手柄だったようだな。」
「あら、跡部さま。これはこれは。部活はどうされましたの?」
「俺のファンが勝手なことをやらかしている、と聞いてな。抜けてきた。」
「もう全て済んでおりますので、どうぞ心置きなく部活に戻ってくださいませ。こういう時のために我々がいるんですのよ。」
「ああ、…頼りにしてる。」

 「きゃあ!」なんて私に報告してきた子は一斉に高い声を上げる。私は表面上、ゆっくりと微笑みかけた。苦しくて仕方が無い。こうやって頼りにされ跡部の役にたって嬉しいと思う反面、なんて馬鹿げたことをしているんだ、と思ってしまう傾向が現れたのは何時だったか。あれはもうずっと前だった。この気持ちが憧れから立派な恋に変化していたと気づいたときが私の汚点を見出したときだ。手に入らないというのに、どうして私はこうやって一生懸命貴方のことを守らないといけないんでしょう、ね。かといって、私は彼を不幸にしたいわけではない。恋心というのは愚かなものだ。

「かーいちょう!良かったですね!また明日も頑張りましょーね。」
「……ええ、本当に。」

 去っていく彼の後姿を見ながらほう、とため息を吐く。こんな毎日をずっと続けるんだ、と思っていた。すくなくとも、今までの私は。



………
……………



 今、彼はなんといった?私は動揺こそしなかったが、彼が口ずさんだ言葉に多大な疑問を持った。今までこうやって個人として呼び出されたことが無く、おかしい、と考え続けていたのだが。私の記憶と聴力が正しければ、彼は先ほどこういったはずだ。「好きだ。」と。音表記でいうとs、u、k、i、d、a。たったの3この音だけれど、心底私にはその言葉が自分に向けられたことが不思議でならない。…普通さ、こんな追っかけみたいなファンクラブ立ち上げてる人を好きになります?ならないよね?

「…で、お前はどうなんだ。」
「お気持ちは素直にありがたいと思います。けれど、私は会長の身。可愛い会員さんたちを裏切るわけにはいきませんの。聞かなかったことにさせていただけると、大変嬉しいですわ。」

 至極真面目な顔で返してくる彼はきっと本気なんだ。何より冗談でこんなこと言われたらこちらとしても傷つくが。

「くだらねぇな。…ファンクラブご法度ならぬものを読ませてもらったが、アレには確かに俺さまが有意義な生活を送ること、と書かれていた。それを会長自らが破るのか。」
「私以外にも女性は沢山いらっしゃいます。どうかお気持ちを外に向けてくださいな。」
「……お前はそれでいいのか。」
「立場、というものがありますので。」

 唇を噛み締めた。いい、と聞かれて体は確かに首を縦に振ったが果たしてそれは心まで同じだろうか。どうしてこんなにももどかしいのだろう。これでも何十人もの生徒を纏めるファンクラブ会長として1年間やってきたのだから、ある程度のプレッシャーを乗り越える力は存在するはずだ。けれど、今はもうそれどこじゃない。喉がカラカラに渇いてしまって、もうぐだぐだとした長い台詞を口ずさむことはできそうにない。どうか、早く納得して帰ってくれ、とそればかりを考えていた。

「じゃあ、会長という立場を止めるのを待つまでだ。」
「な……!」
「なあ、。さっさと俺のもんになっちまえよ。」

 不敵に微笑んだその表情は私の全てを虜にする、まるで病気のようだ。ぐるぐると頭の中を掻き混ぜる感情に、今度こそ上手く言葉が出せなかった。口の中でもごもごと濁していると、ふ、と掴まれた右手はとても熱くて。私の熱のせいもあるけれど、彼の手も同じ。どこまで跡部は私のことを狂わせれば気が済むのだろうか。完敗だ、といわんばかりに私は久しぶりに会長の仮面を脱ぎ捨て、一人の女の子に戻った。







猫かぶりシンデレラ
なによりも憎らしいのは貴方を好きになってしまった自分自身。

*080113   ( title by.メソン